ラノベとゲーム制作かもしれないブログ

オタクが最近読んだ見たラノベアニメ作るゲームの話を書きます。

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小説

 

 

「――くん」「――くん!」
 体を、ゆさゆさと左右に揺らされている気がする。それの反動か、閉じていた目を開く。
開くと、そこには怒り気味の笑顔を浮かべている先生が居た。今は授業中のはず。
「あはは……」
 額に汗をかきながら、そう返す。先生はかけていた眼鏡をクイッと持ち上げると、
「では、寝ていた七瀬くんに聞きましょう」
 さっきまで寝ていたので、授業中何をしていたのか分からない。
「あなたはどういう時に幸せを感じますか?」
「幸せ……ですか」
 先生は静かに顎を引く。……幸せ。僕が幸せって感じる時……。
「う、嬉しい時?」
「もっと具体的に!」
 もっと具体的にって……。そもそも幸せが抽象的すぎるよ。
先生には、それが伝わっていないのか、急かすように靴で床をリズムよく足踏みをしていた。それのせいで、心のどこかで焦って答えを出してしまう。
「ご飯を食べている……時かな」
 自分で言っといてだが、多分違うと思う。
「うん、よろしい!」
 肩を、そっと叩き、笑顔を浮かべる先生。それに安堵し、胸を撫で下ろす。
「きっと、他にもあると思う。例えば、女子なら可愛い服を着ることとか! そういう嬉しいことや、楽しことに、美味しいものを食べることがきっと幸せなの」
 僕の隣に佇んでいた先生が、いつの間にか教壇に昇り、みんなにそう高らかに宣言してしていた。みんなは分かったのか、分かった振りしているのか、曖昧な反応をする。
「みんな、まだ分からないのも無理ないよ。これから、そういうの勉強していくんだから」
 本当にそうなのだろうか。可愛い服を着ること、楽しいこと、美味しいものを食べることが幸せに繋がるのだろうか。
その答えを出すのは、先生の言う通り僕には無理だ。僕にはお世辞にもまだまだ経験が圧倒的なまでに足りない。
「七瀬君、帰ろ?」
 放課後、ガヤガヤとした教室の中でクリアにその声だけは聞こえた。
「茜……、うん。いいよ」
 祭橋茜。隣の家に住む所謂幼馴染である。いつも登下校を一緒にしている仲でもあった。
くりっとした目元に、少し内巻き気味にかかった髪、紺色の制服がよく似合う顔立ちで、胸囲なんかも周りより発達していて幼馴染という贔屓目を抜きにしても可愛いと思う。
「ほら行こ?」
 鞄を肩にかけ、茜は急かすように言う。
「分かってるって。……うん、行こう」
 教科書をすべて鞄に入れ終わり、背中に背負う。ずしり、と重い。
廊下を歩いていると、茜は鼻歌混じりに尋ねる。
「今日どうだった?」
「んー、特には。茜は?」
「私も特にないかな」
 いつもと特に変わらない会話。今日何をした、とか、明日こういうことある、とか。
何の変哲もない会話も毎日すると、それも一つのルーティンに変わる、ということを僕は、最近学んだ。
会話をしていると、生徒玄関に着き、靴を履き替える。靴を履き替え、慣れた動作のように、つま先で地面をトントンと叩き、しっかり履いた。
「七瀬君。もういーい?」
 先に履き終っていた茜が間延びした声で尋ねる。
「今行く」
 短くそう答えると、茜の元に駆け寄る。
生徒玄関から出ると、たくさんの生徒が帰宅しようと各々の道を歩いていた。
その中でも、一際目立っている人物が居て、思わず見てしまう。茜は、それに気づいたのか、僕に詰め寄るように尋ねる。
「なーに。七瀬君も相沢さんが好みなの?」
「いや、そうじゃないけど」
 じっとりとした視線を這わせながら、茜は目を細めた。
「うそー。だって、見てたよ。さっき」
「見てたけど……それは違くて」
 相沢春香。同じクラスの学園のアイドル。女子、男子からも人気で、非の打ち所がなくて、可愛くて、胸が大きくて、性格も友好的。完璧であった。
僕とは対象的すぎて、好意なんて向けることすら適わなかった。それでも、僕が彼女に思うところがあるなら、それは尊敬だ。彼女とは、話したことは無いが、彼女の噂話くらいは聞く。やれ部活の助っ人したり、やれ人様の恋愛を成就させたり、と他人本位な生き方に憧れはなくても、好意的に感じてしまうのと同時に、なんでそこまで他人に干渉するのだろうと思う。そこが、相沢さんの良い所なんだろうけど。
「怪しい……!」
「べ、別に怪しくないって! ほら、行くよ」
 そう言って、校門を出るとき偶然にも相沢さんと目が合った。あまりの偶然に一瞬、僕が止まりかけたけど、何とか平静を装って校門を出る。
それから、十五分かけて僕と茜は家に帰れた。茜は玄関のドアを開きながら、
「七瀬君、また明日」
 そう言って、家の中に入っていく。僕もそれを見送ると、自分の家に入る。
丁度、母さんが買い物に行くのか、玄関に母さんが居た。
「買い物?」
「こら。ただいまでしょ?」
 優しく頭をコツンと叩く。条件反射でつい「痛い」なんて言って、頭を抑える。
「ただいま」
「よろしい。……母さん夕飯の買い物に行ってくるわね」
 予想通り、母さんは買い物に行くようだ。それに「うん」とだけ返事をし、自室に行くために階段を駆け上る。
「行ってらっしゃいはー?」
 下から母さんの声が聞こえてきて、求められるように返した。
「行ってらっしゃ――――い!」
 それが聞こえたのか、バタン、と玄関が閉まった音がする。そして、僕は自室に入った。
自室には机とベッドと本棚、そして、テレビと少しのゲームしかなく、部屋もそれほど広くないから、物の数の少なさに対してはそんなに寂しくは無かった。
「何しようかな」
 机の上にあった携帯ゲーム機を手にとり、ベッドに思いっきりダイブした。
ベッドが軋み、反発し、僕の体は一瞬浮かび上がる。
 それから、ゲームに熱中して、三十分が経過したころ――
「つまらない」
 携帯ゲーム機を枕元に置き、仰向けで大の字に寝る。天井にはシミ一つついていなかった。ごろん、と右に寝返り、左に、寝返り。それを三往復した時、部屋全体が眩しい光に包まれた。その眩しさに思わず目を半ば閉じながら、声を上げる。
「な、なに?!」
 その数秒後、光が収まると、自分と歳が変わらなさそうな、一人の少年が立ち竦んでいた。その現実が信じられなくて、何度も目を擦り、瞬きをし、確認する。
確認した結果、間違いなく現実の出来事だった。
少年は全身似合ってもいない白のスーツに身を包んでいて、それに思わず、ぶっ、と笑ってしまう。
「少年、何笑ってんだ?」
「え、だって、君、その歳でその恰好ははやすぎるよ」
 それ、と指を指したのが自身が着ているスーツと分かると、少年は、
「こう見えて、俺は二十万年生きているんだぞ、少年」
「君面白いね」
「神様をあまり馬鹿にするなよ。少年」
「神様?」
「そう。神様。ヘスっていうのが俺の名前だ。よろしくな、少年」
「よろしく――って、君どうやって入ってきたの?! それに神様って何?!」
 差し出された手を掴み、一瞬で離し、ツッコんだ。一体、どうやったのだろう。
あまりの自然さと自分と同年代らしい顔立ちで、ツッコみが遅れた。
「俺が神様って信じてないな?」
 少年は、不満そうに言い、手をスッと上げる。
「神様なんて、この世界に――えぇ!」
 携帯ゲーム機がふよふよ、と宙に浮いていた。動きを見ると、少年――ヘスの手に合わせて動いているようだ。その携帯ゲーム機は僕の周りを一週すると、ボトンと布団に落ちる。ヘスは、してやった顔で言う。
「分かったか?」
 分からないけど、分かったような振りをする。
「それで、ヘスは何しに来たの?」
「神様に呼び捨てかい」
 ヘスは呆れた顔でそう言う。神様といっても僕と同い年のような顔だし。
「まぁ、いい。それで、喜べ。少年」
 呆れた顔を一変、笑顔でそう告げる。ヘスは掌を空間に突き出すと、そこに粒子状の光が集まる。そして、やがて形になり、それは一個の四角い――掌に収まるくらいのボタンになった。
「それは何?」
「これはな――世界を救済するボタン。もしくは、世界を破壊するボタンだ」

 世界って平等なのかな。
僕が、そんな違和感を憶えたのは小学六年生の頃だった。あの時は、自分でも思うけど、俗に言う大人ぶっていた。今では中二病とでも言うのだろうか。
とにかく、悪い意味で周りとは違った。
何もかも、曲がった目で見て、曲解の考えをさも正しいかのように言い、周りに迷惑をかけていたから。その中でも、特に僕が考え、豪語していたのが、
――この世界は本当に平等なのか。
 という考えだ。実際平等なのか、と問われれば、そんなわけない。人間は生まれからして不平等だ。スタートが違えば、当然到達するゴールだって違う。人間は不平等だ。
それでも、もし、平等があるのだと言うのなら、それはきっと生と死なんだろう。
その二つの出来事は誰にも、生まれてきた人なら決して体験する出来事だ。
だから、もし、平等が存在するのなら、生と死だけだと思う。
「でも、なんで僕がそんなことをやらなくちゃ、いけないんだ……」
 制服のポッケに手を入れ、その中に入っている一つのボタンを握りしめ考える。
あの時――ヘスが言った言葉の意味を。

「これはな――世界を救済するボタン。もしくは、世界を破壊するボタンだ」
 僕はヘスの言っている意味が分からなかった。正確には意味は分かるけど、それは単語の意味とかであって、その発言の意図ではない。
「分からないか? 少年。俺はお前に選択権をあげるって言ってるんだ」
「ぜ、全然分からないよ! 何を言ってるのか僕には」
 ヘスは呆れたように目線を外すと、
「今、俺たち――神はあることを決めようとしている」
 コクッとゆっくり頷くと、ヘスは続ける。
「それは人類をリセットするか、否か」
「ど、どうして?」
「どうしてって、分からないのか? 少年」
ヘスは真剣な表情で聞く。一切の冗談も脚色もないようだ。
「わ、分からないよ。……僕はまだ中学二年なんだ」
「――だから。分からないことの方が多いって?」
 ヘスは細かく切られた僕の言葉を拾い集め、声に出していた。
「あぁ! そうだ。だから、仕方ないんだ!」
「少年。さっきに言っておく。人類の運命はお前の手にかかっている。滅ぼすのも、延命させるのもお前のさじ加減一つで決まる。……だから、目を逸らすな。全てを見ろ。後悔がないように」
「人類? 運命? 何を言ってるの?」
 意味が分からない。きっとこれは夢だとも思った。
「人間は過去も今も未来も争いが絶えない。争いこそ、人間かと言うほどに。けど、そんなのは許されない。だから、俺たちは考えて、考えて、一つの案を出した。人間の代表に決めてもらおうと。そして、選ばれたのがお前――七瀬理央。少年のことだ」
「な、なんで僕が……。関係ないじゃないか!」
 人類代表ってなんだよ。世界を救うって何? リセットも何なんだ。
中学二年の僕には、まだはやくて、よく分からない会話だった。
「なんで、少年が代表なのかは一週間後に答えよう。これから、一週間、少年には普通に過ごしてもらう。その時、きっと幸せなことも不幸なこともあるだろう。それらの事柄は少年の人生で、今後起こりうるかもしれない出来事だ。それらを経験し、そして、期限である一週間後、少年の、人類の答えを聞かせてもらいたい」
 そう言うと、ヘスの体はどんどん透けて消えるように無くなっていく。
そして、僕は滑り込み気味ににあることをヘスに尋ねる。
「……このボタンで本当に人類は滅ぶの?」
 それにヘスは笑って短く答える。
「少年次第だ」

 そこで、僕の回想は終わる。そう、僕は本当の意味で生か死の選択を迫られていた。
人類の繁栄か、終焉か。どちらが正しいのか、まだ分からない。
「七瀬君」
「あ、茜。どうしたの?」
「次、移動教室だよ」
 神様と別れての翌日。つまり、一日目。時間は二時限目が終わって、ほとんどのクラスメイトは次が移動教室だからか、クラスから居なくなっていた。
 黒板隣に貼ってある時間割を見ると、次は美術になっていて、美術室に行かなくてはいけない。
「茜はなんで、わざわざ僕を待ってたの?」
「え、それはその……」
 と、口をもごもご動かし、濁した後に。
「お、幼馴染だから」
「そっか。そうだよね」
「……ばかっ」
 茜が理不尽なことを言うと、遅れるのも嫌なので美術道具をとって、教室を出る。
 教室を出て、数歩歩いて気が付く。美術の教科書を忘れていた。
「ごめん、茜。忘れ物した」
 先に歩いていた茜が振り返り、同時にスカートも翻る。
「ま、待ってるよ」
「いいよ、大丈夫。すぐ行くから」
「う、うん」
 茜はしぶしぶ、といった様子で了解し、一人先に美術室へ歩き出した。
僕も、踵を返し、教室で自席の机の中を探っていると、
「――七瀬くん?」
 教室の出入り口に立っている意外な人物に僕は驚く。
「相……沢さん……?」
 クラスはおろか、学年でもかなりの人気者である相沢春香。
 彼女は、まるで、僕が一人になるのを待っていたかのようだった。
「えっと、どうしたの?」
「……やっと二人きりになれたね」
 とんっ、と軽く相沢さんが僕に体を預ける。否、抱き着く。
甘い香りが遅れて、鼻孔に入り、気持ちさえも甘くさせてくれる。
 しかし、そんな気持ちを頭を振って、正気に戻させると、相沢さんの肩に手を置き、体と体を離れさせる。
「どうしたの? 七瀬くん」
「相沢さんこそどうしたの?!」
 相沢さんは顎に人差し指を添えて、きょとんとする。
「あたしは別にいつも通りだよ?」
「いやいや、おかしいよ。僕と接点なんて特になかったし、こういうことするような人でも無かったし」
 後ずさりながら、僕はそう言う。相沢さんは、僕が後ずさるのに比例して、距離を詰めてくる。
「あたし、七瀬くんのことずっと見てたんだよ? 好きだから」
「え?!」
 頭が真っ白だ。パンクしそうだ。いや、もうしているのかも。
よく目が合っていたのもそういうことか。
「ね? だから、付き合ってほしくて」
「いやいやいや――――! 授業始まっちゃうし……ね?」
 どうにか、宥めようかとしてもそれは相沢さんには響かない。
「そんなのいいから……返事を聞かせてよ」
「ぐっ……!」
 もう一歩、一歩と後ずさる。すると、もう後がないのか、固い壁の感触がした。
 ちょっと待って、と手を突き出し制止させる。そして、僕は一回深く深呼吸した。
さらに一度、自分の頬を叩き、気合を入れる。
「ぼ、僕でよければ!」
「いいの……? 本当に?」
「う、うん」
 あの学年のアイドルみたいな存在が僕を好いてくれているのだ。
受け入れる理由こそあれど、断る理由なんて何一つないじゃないか。
「……これからよろしくね」
 相沢さんは恥ずかしいのか、顔を真っ赤に茹で上げていた。
「よ、よろしく……お願いします……」
 袖口をちょん、と掴まれ僕らはお互いに挨拶をした。
それは少し変だけど、すごくドキドキして、そして、すごい幸せと感じた瞬間でもある。

「僕さ、相沢さんと付き合うことになった」
「え?」
 相沢さんに告白されてからの放課後。帰り道。僕と帰り道が同じである茜は一緒に下校をしていた。その途中に僕は今日、美術の時間にあったことを話す。
茜は真剣に聞いて、そして、時折悲しそうな表情をしては、最後まで聞いてくれていた。
 僕が話し終わるころには、
「おめでとう。よかったね。七瀬君、相沢さんのこと見てたしね」
 祝福の言葉を贈ってくれた。でも、言葉とは別にその表情は曇っている。
「うん。ありがとう。だからさ……その」
――これからは一緒に帰れない。
 そんな一言を伝えるだけなのに、どうして言葉が出ないのだろう。
「これからは一緒に帰れなくなっちゃうね」
 残念そうに茜が呟く。
「え?」
「だって、そうでしょ? 相沢さん差し置いて、私と七瀬君が変えるのはおかしいよ」
「……うん。ごめん」
 ごめんって何だろうか。自分で言っていて不思議だ。
僕と茜が一緒に帰っている理由だって、そもそも家がお互い近いから、とかそんな理由なはずなのに。……いつの間にか、大事な日常になっていたのか。
それでも、僕はあの憧れていた相沢さんと付き合う以上、誠意を持たなきゃイケない。 だから、茜と一緒に帰るのは今日が最後だ。
「なんで、謝るの? 七瀬君の目標? 夢? が叶ったんだよ。幼馴染として嬉しいに決まってるよ。うん、嬉しいに……決まってるよ」
 何かを確認するかのように、彼女は何度も何度も「決まっている」そう復唱した。
「ありがとう。茜」
 そこで、僕たちは家にまで着いてしまった。この長かった一緒の帰宅も、これで終わりを告げる。
「……じゃ、じゃあね」
 ぎこちなく、手を振り、玄関まで駆ける茜。その背中はどこか哀愁に満ちていた。
「うん、また明日」
 明日、ここで会うのではなく学校で会うと思うと妙な気持ちになる。
「ただいまー」
玄関を開け、家に入ると、誰もいないのか家はしんみりとしていた。母さんは買い物だろうか? 深く考えずに、自分の部屋へと入る。朝、起きた時と何も変わっていない。
ただ一つ目新しいものと言えば、
「このボタン……」
 四角い土台に、ちょこんと丸い出っ張りがあるような簡単なボタン。
落とした拍子に間違って押してしまいそうになりそうな……。
「このボタンで人類滅亡か」
 にわか、には信じられないのが実直な感想。
しかし、それでもきっと事実なのだろう。そうでなければ、ヘスの存在もまた、僕が勝手に見えた幻想になる。それは無い。あの話した感じも、この記憶だって鮮明だ。
「おー、悩んでるな。少年よ」
「いや、悩んでは無いよ――――ってヘス?!」
 さっきまで誰も寝ていないベッドにはヘスが我が物顔で寝ていた。
「どうして、ここに?」
 それを聞くと、ヘスは寝ていた態勢から胡坐をかく態勢に変えた。
「途中経過を見に来たのさ。少年には、しっかりと見極めてほしいからね」
「途中経過って言われても……」
 僕は何を言ったらいいのか、分からなくて言葉に困る。
特に言う事なんて何一つない。
「じゃ、聞き方を変えよう。……少年、今日良いことあったか?」
 ヘスのその聞き方は、今日僕に何があったのか、もう既に知っている――見透かしているようだった。
「……彼女ができた」
 それを聞くと、大げさに拍手をし、ヘスは言う。
「おー、それはおめでたいな」
「もう! それが何なのさ!」
 熱く火照った顔を誤魔化すように、僕は声を荒げる。ヘスはそれに、下卑た笑みを浮かべて答える。
「それが少年の幸せさ」
「幸せ?」
「そう。人には必ず幸せと不幸せが存在する。少年には言った通り、これから起きることかもしれない幸せと不幸せを目一杯体験してもらう」
 これから起こるかもしれない幸せと不幸せ……。それに、ハッとする。
しかし、それを見越してか、ヘスは先回りをして答えた。
「安心しな、少年。相沢春香は本当に少年のことが好きだから。……神様でもな、人の感情や気持ちってのは操れない。いや、操っちゃイケないんだ。だが、焚き付ける――要は素直にさせるってのはできるし、してもいい。今回は、こっちで彼女を焚き付けさせてもらったわけよ」
 つまり、彼女は好意は少なくとも、本物ということになる。
 それを聞いて、安堵し胸を撫で下ろす。
「それで、僕に何が聞きたいの?」
 ヘスはそれを聞いて「おぉ、そうだ」と掌を叩いて、用件を思い出す。
「少年は、人類を滅ぼすのか? それとも現状維持かどっちだ?」
 そんなのは決まっている。僕が選んだ答えは、
「――維持だよ。世界を壊せるわけがないよ、僕には」
「それは世界を……他の人々の事を考えてのことか?」
「ううん、考えてないし。考える必要もないと思った」
 ヘスはそれを聞いて、下がっていた眉を釣り上げた。
「して、その心は?」
「僕になんで、こんなことを任せているのか分からないけど、死ぬっていうのは本当に最終手段だし、そもそもが死にたい人はもう死んでるっていうのが僕の考え」
 よくアニメや小説で「死にてー」と呟いている登場人物は正直、僕は好きではない。なぜなら、毎回、そんなこというなら死になよ。と言いたくなってい仕舞うからだ。
「少年よ、死ぬことを許されないというのもある。死ぬことより生きることの方が辛いような者が居るように、死ぬという平等な選択権をはく奪された……者だっている」
 死ぬことを許されない、ということ。死ぬことも許されず、ずっと生きたまま地獄を体験し続ける……まさに生き地獄。そんな世界もある、ということを僕は知らなかった。知ろうとしなかった。
 でも、それでも、僕の考えは変わらない。今、この世界を壊したくないと僕自身が言っているから。
「例え、死ぬことが許されない人が居ても、僕はまだこの世界で生きたい。だから、現状維持のままでいい」
 ヘスは少しして、笑うと、僕の考えを肯定する。
「自分勝手だが、それでいい。少年の意見が決定になり、それが人類の未来になる。それを努々忘れないように」
 僕の言葉が人類の選択になる。……重すぎる。よく考えてみると、プレッシャーで潰されそうになる。
ヘスはそれだけ言うと、満足したのか透けて、気が付いた時には消えていた。
現れる時も勝手で、消えるのも勝手。そんな自由奔放さが、また親近感を生む。
けれど、彼と僕は決定的に違う。神と人。人類の選択か……。
 何が正しいのか、間違っているのか、分からない一度きりの選択が僕を悩ませていた。

「おはよーう」
 ボタンを受け取ったてから、二日目。
階段を降りて、リビングへ行くと、そこには朝食を食べながら新聞紙を読む父さんの姿があった。母さんは、僕の朝食を準備しているのか、キッチンで忙しそうにしていた。
「随分と遅い起床だな。理央」
 椅子を引き、座ると父さんが抑揚のない声で言う。
「ちょっと昨日色々あったんだ」
 あの相沢さんと付き合えるなんて、思ってなかったし。その事を両親に言ったら、茶化されそうで嫌だし。
「何でもいいが、もう子供じゃないんだ。自分のことがしっかりしろ」
 冷たく言い放つような言い方をする父さん。父さんはこういう人だし知っている。僕を想ってあえて、そういう風に冷たく接するのも知っているし、だから、僕は父さんを嫌いになれない。……むしろ、尊敬している。司書として働く父さんは真面目だし、本を読むから、見聞も知識も広くて、深くて底が見えない。だから、尊敬する理由こそあれど、嫌悪する理由なんか一つない。
「何、朝からニヤニヤしてるの?」
 母さんが、横から僕のために作られた料理を運びながら、顔を除いてくる。
もやもやっとした湯気が味噌汁から出ていた。美味しそうだ。
「べ、別に何でもないよ。頂きます」
 キチンと両手を合わせて頂きます。うん、行儀いい。伊達に父さんから厳しく育てられていない。母さんも、そんな僕を見て「はい、どうぞ」と合わせてくれる。
父さんは相変わらず無口だけど、この食卓――いつもの日常にはキチンと家族としての色がある。……たまにはそう思うことも悪くないと思う。
「美味しい」
 僕が卵焼きに舌鼓を打っていた頃。ピーンポーン。そんな軽い鐘を鳴らしたような音がこだまする。こんな朝から誰だろうか。そんな疑問をするものの、特に外には出ようとせず、母さんが玄関に行く。
 父さんと少しのばかり、二人きりだから、変に緊張する。父さんはそうでもないだろうけど。何か喋ったほうがいいかな。
「……」
 父さんは新聞を二つ、四つに折るとそれをテーブルに置くと、黙って奥へ行こうとする。
「父さん」
「なんだ?」
 父さんが後ろ姿で立ち止まる。僕に呼び止められたのが意外なのか、手が変に固まっていた。
「ごちそうさま、抜けてるよ」
 それを聞くと父さんは小さな声で「ごちそうさま」と呟いて、奥に消えて行った。
父さんが消えるのとほぼ同時に母さんが戻ってくる。それも焦った様子で何かあったのかな、と疑問符がぐるぐる僕の頭をループしていると、
「り、理央! あんた彼女いるの?!」
「へ?」
 あれ、昨日の僕、母さんにその話したっけ? いや、してないよね。
「え、えっと、あはは」
 熱く感じる頬をポリポリと掻く。それだけで僕の反応が「彼女? 居るよ」と言ったのが分かったのか、母さんはさらに詰め寄る。
「しかも、あんなかわいい子! 理央あんたぁ~!」
「た、確かに可愛い」
 どうやら相沢さんは親目線から見ても可愛いらしい。誇らしく感じる。
「で、その相沢さん……僕の彼女がどうしたの?」
 言ってしまった。とうとう親の前で言ってしまった。相沢さんは僕の彼女なんです。
「迎えに来てるわよ! 朝ごはんなんて、いいからはやく行きなさい」
「えぇ?!」
 まだ全部食べていないんだけど?! ていう僕を無視して、母さんは食卓の皿を次々と片づけていく。もったいないけど仕方ない。相沢さんを待たせるのも嫌だし。僕はいつも気慣れている学ランをすぐさま着て、登校鞄を背に担いだ。
「行ってきます」
 一言そう言って、玄関を開ける。
「おはようっ」
 開けたら、相沢さんだった。相沢さんで、間違いなく僕の彼女である相沢春香さん。
「待った?」
「ううん、全然。はやく行こ?」
「あ、うん」
 手を引かれて僕らは歩き出した。繋がれた手を見る。しっかりと握られていて、そこから相沢さんの暖かさが伝わってきて、妙にドキドキした。
「なんで、今日迎えに来たの?」
「え。だって私彼女だよ? それくらい普通だよ」
 普通なのかな。経験ないから分からない。
「でも、よく場所分かったね」
「それは祭橋さんにメールで聞いたの」
 相沢さんは見せつけるように携帯をひらひらとさせる。中学生なのに携帯持っているなんていいなぁと眺めた。僕はもちろん、父さんが許さず持っていない。
「だから、七瀬君にこれあげる!」
 そういって渡されたのは一枚の紙だった。見ると、そこには十一文字の数字が羅列されている。多分、携帯の番号だろう。
「えっとこれは」
「ケー番! 男子には七瀬君にしか教えてないから特別ねっ!」
 特別……。そんな甘美な表現が僕の頭を支配した。
きっと、こういうことをして、僕らは大人になるんだ。……まるで、今学校に向けて歩を進めているはずなのに、それはどこか大人への道へと続いているんじゃないか、と錯覚してしまう。

「茜、おはよう」
「あ、七瀬くん」
 クラスの入り口で茜と会い、挨拶を交わす。なんとなく、気まずい。
あっちもこっちを、ちらちら見ては目線を逸らすの繰り返しで気まずそうだ。
「えっと、じゃあ、また」
「う、うん」
 そう言って僕らは別れる。昨日までは一緒に帰っていたのに今では会っては、すぐ別れる、そんな関係になってしまった。
それから、ほどなくして先生が入ってきて、ホームルームを始める。いつも通りに点呼をし終えると、もうすぐ授業だ。けれど、今日は違った。
「えー、今日はお知らせがあります」
 その発言にクラスがざわつく。いい知らせか、悪い知らせか戸惑っているようだ。
「せんせー。それって悪い知らせですか? このクラスだけ校内掃除とかー?」
「いいえ、良い話ですから静かに聞いて下さいね」
 先生は質問をした生徒を軽く嗜めると、言葉を続ける。その言葉に皆は耳を傾けていた。。
「七瀬理央くんの読書感想文がこの度、市のコンクールで受賞しました」
 突然、僕の名前が呼ばれ、ダラけていた背筋がビクッと伸びる。書いた読書感想文がコンクールで受賞なんて、一にも思ったことが無い。
クラスメイトの反応というと「おぉ」とか「すごーい」といった感嘆の声があがっていた。相沢さんをチラッと見ると、ずっと僕を見ていたのか目線があって口をパクパクと動かしている。
「すごいね」
 声には出していなかったが、口の動きを見ると、こんな感じだと思う。
相沢さんに褒められるとより一層頬が熱くなるのが分かった。嬉しい。
「そのうち、学校新聞でも取り上げられると思うから、みんなぜひ読んでね」
 先生はそう言うと「それじゃ、ホームルームはここまで」と教室を後にした。生徒たちも先生が居なくなると、教室内が騒がしくなる。 最初の授業の準備をしていると、
「七瀬くんっ」
 最後を妙に強調した僕の名前が耳に入る。目線を配ると、すぐそばに相沢さんが来ていた。長い髪の毛が目の前で揺れて、匂いが舞う。いい匂い。
「相沢さん」
「おめでとう!」
 そう言ってにこやかに笑う相沢さん。可愛らしい笑顔であった。
「うん、ありがとう」
「七瀬君、本好きそうだもんね。さすが!」
 それは僕が根暗ということを言っているのだろうか。……確かに明るくはないなぁ。
それでも、普通だとは思うんだよね。でも、相沢さんの笑顔を見ると、僕の事を暗いと言っているわけではないと思う。
「うん。まぁ、好きだね」
「七瀬君の感想文読みたいなー」
 相沢さんが胸の前で手を組んでいる背後で僕は見てしまった。見えてしまった。
「今度の週末お祝いに行こうよ!」
「あー、う、うん」
 相沢さんは僕の微妙な気持ちに気付いていないのか、グイグイと顔を近づけ、意見を言い出す。今の僕にその意見は届いていないが。
「ち、ちょっと待ってて!」
 気になりすぎて、僕は教室で見えて消えた影を追いかける。
相沢さんは苦笑しつつも「うん」と返す。本当に申し訳なかった。けれど、人として追いかけなくてはイケないと思う。
「茜!」
 教室から出た僕が茜を引き留める。茜はそれに驚いたのか、そろそろと振り返った。
「七瀬くん?」
「その……ありがとう」
 お礼を言った理由は一つだ。この読書感想文は僕だけの力で決してとれたわけではない。
むしろ、僕だけじゃきっととれなかった。日夜締め切りに怯えながらも、書いた。それはもうたくさん書いた。心が折れずに書けたのも、出来が良くなったのも、恥ずかしいけど、茜のおかげだ。だから、お礼を言わないなんて、選択肢はなかった。。彼女が居るのに、二人で話しているのは心苦しいが、言わないのはもっと苦しい。
「あはは、おかしいなぁ。七瀬くんは」
 口元に手を添えて笑う茜に疑問を感じた。
「え、何が?」
「だって、書いたのは七瀬くんで、認められたのも七瀬くんの力だよ。だから、私は関係ないよ」
 そういう茜の表情は穏やかで、声音も落ち着いていた。
「でも、手伝ってくれたのも事実だから。お礼くらい言わせてよ」
「うん、ありがとう」
「それはこっちのセリフだよ」
 そうして顔を見合わせては笑い合った。どっちがお礼を言うのなんてどうでもいいかのように。けれど、それももう終わりだ。
「じゃあ。僕戻るね」
「う、うん」
 お互い背を向けて歩き出した。時折、振り返ると茜の体が震えているのが分かる。
なんだろう、と疑問に感じつつも教室に戻った。

「今度の土曜日どこ行く?」
その日の放課後。相沢さんと一緒に帰っている時、そういう話題になった。
「今度の土曜日?」
 はて、そんな話あったけと思いながら話す。相沢さんはそれに、むっとした様子で返す。「もー、朝言ったじゃん。お祝い! するでしょ?」
「本当にしてくれるの?!」
 相沢さんは吹き出し、お腹を抑えながら、
「するよー。言ったんだから」
 誰かに何かを祝われるのなんてすごく久しぶりな気がする。でも、茜はいつも祝ってくれたな、とも思う。でも、今度からは相沢さんが祝ってくれるのかな。
「ありがとう」
 立ち止まって相沢さんの顔を真剣に見つめ言う。そしたら、彼女は顔を赤らめて「うん」とだけ返事した。
「じゃ、私こっちだから」
 手をひらひら振りながら、別れ道に立った僕らはそれぞれ別の道に行く。
「またね」
 またっていうのは、また会うということ。相沢さんはその意図を分かっているのか、知らないが相沢さんも「またね」と山彦のように返す。
相沢さんと別れて、間もなく自宅のドアを開けた。
玄関の靴を見ると、父さんの靴と……知らない靴がある。誰のだろう? 新しく母さんが買いでもしたのかな。
「ただいまー」
 そういうと奥から父さんと知らない人が出てくる。……あの靴はやはり、母さんのではなく、知らない人のだったのか。それにしても、誰だろう。
歳は父さんや母さんと変わらない位だろうか。綺麗な人である。
「理央、おかえり」
「お邪魔してます」
 父さんが口火を切って次に隣の女性も言う。父さんと女性を見比べながら、戸惑う。
「えっと。その人は?」
「あぁ。父さんの知り合いで、出版関係の人だ」
「出版関係?」
 なぜ父さんに出版関係の人が? 他にも色々な疑問が出てきて尽きることはなかった。
「今度ウチの図書館と仕事をするから、その打ち合わせで来てもらったんだよ」
「えぇ。私、東山と申します。七瀬様にはお世話になっております」
 理由を解きながら父さんは言い、東山さんはそれに付けたすように答えた。
「それでは、七瀬様。私はこれで失礼しますね。理央くんもさようなら」
「えぇ。お願いします」
「さようなら……」
 東山さんはそう言って玄関の扉に手をかけて、出て行った。父さんはどこか名残り惜しそうにしている。それに違和感を感じてしまった。……こんな父さん初めてだな。
 玄関で二人っきりになった僕ら。
先に痺れを切らしたのは父さんで黙って奥に引っ込もうとした。
「父さん!」
 さっきの東山さんと話した時より、一層大きい声を浴びせる。
父さんは今朝と同じように、立ち止まった。そして、背中で「何だ?」と訴えかけている気がした。
「僕、読書コンクールで入賞したんだ! 認められたんだ! それでその――」
「そうか」
 遮るように父さんはピシャリと僕の言葉を止める。まるで興味もないと言わんばかりのようだ。気持ちがシュンとなる。良い事だと思っていた出来事は途端に悪い事に変わった気分でもあった。そして、その日はふて寝をして、過ごした。ヘスが来る事はなかった。

「待ったー?」
 場所は駅前。時間は昼過ぎ。駅前で一人携帯をイジりながら待っていた僕に、相沢さんが声をかけながら、パタパタと駆けてくる。
今日は、読書感想文がコンクールで受賞したことのお祝いも兼ねて二人でデートをするということになっている。ヘスからボタンを受け取って四日目であった。
「全然待ってないよ」
 なるべく柔和な笑顔を浮かべて言う。
「ありがとっ」
 相沢さんも柔らかい笑顔を浮かべる。今日の相沢さんの恰好は一言で言うなら清純の一言だろう。過ごしやすい温度のせいもあり、相沢さんは白いワンピースを一枚だけ着ていて、お洒落なショルダーバックも身に着けていた・
「ど、どうかな……?」
 僕の視線に気が付いたのか、相沢さんは照れながら尋ねる。
「に、似合ってる……と思う」
 それに「へへ」と顔を綻ばせる。それを見て照れる彼氏は僕だ。
「とりあえず、どこか行こうか」
「今日は一杯遊ぼーうっ!」
 おー、と手を振り上げる相沢さん。少し恥ずかしいけど、僕もやってみせた。
そして、どうやら行きたい場所があるらしく、僕を案内してくれるらしい。
駅前は昼過ぎということもあって、中々に人で溢れかえっていた。
この町では遊ぶところがそんなに無く、中高生が「どこで遊ぶ?」と言ったら「とりあえず、駅前行こうや」という返事が出るほど駅前しか、遊ぶ場所がない。
田舎といったら田舎だが、それでも最低限の遊び場は設けられているので苦痛には感じない。それに、僕は言う程遊ぶ友達はいない。休日することといったら、読書ぐらいで別に遊ぶ場所なんてそこまで必要に感じだこともない。何にせよ、駅前に対して遊び飽きたなんて言える立場ではなかった。
「あ、ここ」
 そう言って指差したのは……。
「カフェ?」
「うん。ブックカフェって言って本を読みながら、喋れるんだよ」
「へー、そんな場所あるんだ」
 店内に入ると鈴の音が出迎えてくれて、その直後にウェイトレスの声が聞こえてくる。
内装は割とシンプルで本の種類も市役所にあるくらいあった。市役所が取り揃えていない最近の本も見た感じあり、種類が豊富そうだ。そして、極めつけはカウンターにあるカフェメニュー。カフェていうこともあり、ドリンクにも力を入れているのがすぐに分かるほど、設備がしっかりとあった。ケーキもショーケースに入れられていて美味しそうだ。
「七瀬くん、何飲む?」
 内装に気をとられていたせいで、カフェの注文を忘れていた。カフェでの注文がメインであり、あくまで本を読むという行為はオプションである。
焦りながら財布を出すと、
「え、いいよ! お祝いだからここは私が払うよ」
「え、でも」
 僕は男だし、デートでは男が全部持つというのを雑誌やテレビで見たし……。
「いいの、いいの。で、何飲む?」
 押しに負けて僕は結局アイスコーヒーをごちそうになった。「ごちそうさまです」と呟くと相沢さんは「うん、おめでとう」と再び祝いの言葉をくれる。
 僕らはテキトーに空いてる席――中央付近の席に座って、それぞれ一口ずつ飲む。
コーヒーならではの苦い匂いが鼻孔を突き抜け、それはコーヒーを含んだ口内にも嫌という程に満ち足りる。コーヒーらしい苦みに舌鼓を打つ。
「美味しい」
「なら、よかった」
 相沢さんは相沢さんで頼んでいたチョコラテを飲んでいた。
「でも、どうしてここに?」
 アイスコーヒーの外側に出来た水滴が静かに落ちる中、尋ねた。
相沢さんは、視線をチョコラテの水面に落としながら答える。
「だって、七瀬くん本好きだって言ったから」
 単純だった。僕が好きだからだったから。嬉しいと素直に感じた。
複雑な気持ちも、言葉も無く、単純だからこそ光る気持ちや言葉がある。
今が正にそれだ。心臓がトクンと大きく動いた気がする。
「ありがとう」
 ありきたりで使い古された言葉だけど、贈りたくなった。ありがとうと。
自分の気持ちを言葉に載せて。ありがとうと。
「いいよ。彼女だし普通の事だよ」
 それから僕らはたくさんの話をした。学校の話に家の話。
進学の話までも、アイスコーヒーが無くなりそうになるまで、僕らは話した。
そして、アイスコーヒーの外側についた最後の雫が落ちた時――
「七瀬くんは夢とあるの?」
「え、いや……」
 言葉に詰まった。正直夢なんてないから。だって、僕らはまだまだ子供で自分のしたい事もまだ分からなくて、だから、夢なんてない。
「ない……かな」
「そうなんだ。小説家とかになりたくはないの?」
「なんで?」
 聞き返すと、彼女の答えは単純だった。たくさん本を読んでいるから、小説家とかになれると思っているらしい。確かに小説家は往々にして本をたくさん読むだろう。でも、それだけではなれないのも、また事実。簡単に言うと本を読む能力と書く能力は焼肉のタレとサラダドレッシングぐらい違う。そんな異種格闘技、僕には無理だ。
「無理だよ。何かを創るっていうことはきっと僕にはできない」
「すごい読書感想文書けたのに?」
「人が書いた者に批評こそできるけど、自分で一から作るのは無理だよ」
 優しくそう伝えると彼女は分かったのか「へー」と相槌を打っていた。
「相沢さんは夢とかあるの?」
 オウム返しのように尋ね返した。そしたら、相沢さんは待ってましたと言わんばかりの顔になる。あるのだろうか。
「私ね。作曲家になりたいの」
 アイスコーヒーをぐびりと飲んでいた手を止めた。いや、止められてしまった。
相沢さんの夢が正確過ぎて、自分と同じ学年と思えなかったから。
「歌を歌うんじゃなくて?」
「うん。歌われる曲を創りたいの」
「それはどうして?」
 相沢さんぐらい可愛ければ、普通はアイドルとかそうじゃんくても、歌手とか所謂表舞台に立つべきだろう。それなのに、作曲家というのは言わば裏方。テレビに名前が出るくらいで露出はハッキり言って無いに等しい。
「んー、昔からイントロが好きで、そのイントロに魅せられて自分でも作ってみたいなって思ったのがきっかけ」
「そう……なんだ」
 どこか打ちのめされた感があった。自分の見ている現実が甘くて、コーヒーの方が甘く感じる程だ。日も暮れて、昼過ぎだった外はもう夕暮れに包まれそうだった。
「帰ろっか」
 寂しくポツリと呟い言葉。相沢さんはそれを拾って身支度を済ませる。
ウェイトレスさんたちが元気よく送ってくれた。その元気さが今は痛く感じる。
「またね」
 いつもの別れ道。僕らは別れた。あれから結局言葉らしい言葉を交わすことなく。
それでも、最後に交わした挨拶は「またね」ということは少なくとも次にある……と僕は勝手に思っている。
その日、家に帰ると父さんも母さんも居た。この間居た東山さんという女性の影なんて、最初から無かったかのようにいつも通りだった。夕飯を食べないで、部屋に入って、布団に思いっきりダイブ。ボフッと体が浮いて気持ちがいい。
「よぉ。少年」
「どぅわぁ!」
 ヘスがまた、いつの間にかベッド脇に立っている。気配消すのが本当に上手いな。
「ヘス、びっくりさせないでよ」
「ははは。すまん、すまん」
 後頭部に手をやって、反省がなさそうだ。それで、一体今日は何しに来たのだろうか。
「何か用あるの?」
「あぁ。そらそうよ」
 そう言うとヘスは咳払いを一つ。
「それでボタンどうすんだ?」
 すごい軽い調子で聞いてきた。例えるなら、「今日の学食何食う?」「俺、かつ丼!」それくらう軽い聞き方だ。本来なら「世界の破壊と救済。どちらを選ぶ?」「そんなの分からないよ!」ていうくらい重い話なのに。
「……押さないよ」
「お、少しの間あったな?」
「勘違いしないで。それは悩んだとかじゃないから」
――ただ単に今日は運がなかっただけだから。
「まぁ、いい。次に来るのは三日後。つまり最終決定日の日だ。決めとけよ、少年」
 ヘスはいつの間にか消えて行った。その日までに決めるなんて事はなく、僕の心にはもう押さないっていう確かな気持ちがあった。

 ヘスが居なくなってから一日が経過し、ボタンを受け取ってから五日目の放課後。
相沢さんは今日用事があるらしく、一緒に下校できないらしい。
らしい、というのも本人に聞いたからではなく、朝下駄箱に入っていた手紙を見て、そう書いてあったからだ。……あれからまともに話せていないのが気がかりだ。
「七瀬君?」
 一人下駄箱で溜息をついていると茜に話しかけられた。
「どうしたの?」
「いや、何でも――」
 顔をなるべく見られないように伏せてそう答える。だって、顔を見られたら察せられてしまいそうだから。それ程までに僕の顔は今ひどそうだし、何より茜には通じてしまいそうだから。
「うーそ。……ちゃんと言ってよ」
「でも……」
 何を遠慮しているのだ。茜に相談すればいいだろう。でも、もし、分かってくれなかったら? そう思うと途端に怖くなる。
「今日相沢さんは?」
「いないけど」
「なら、帰りながら聞くよ」
 そう言って茜は僕を外に連れ出した。
連れ出して、そして、話を聞いてくれた。相沢さんとデートをしたこと夢を聞かれ答えられなかったこと、そして、答えられた相沢さんにどこと言えない敗北感があって離せなくなったこと。全てを話した。感情までを。
「そっか」
 ただ一言そう言っただけ。何でもない一言。普通のありきたりな言葉。
けれど、彼女の浮かべる柔和な笑顔が、どことなく優しくて、嬉しくて、暖かった。
「でも、七瀬君も悩むんだね」
「なんだよ、それ。僕だって悩むよ」
「ごめんね。なんか、そういうのと無縁に思ってた」
「あはは」と笑顔で笑われるが、不思議と嫌な気持ちにならない。幼馴染だからだろうか。
「でも、七瀬くんが悩むの分かるよ。今の自分ですら、やりたいことできていないのに、未来の自分ができるとは思えない」
 先まで抑揚のある明るい声だったのに、今ではもうその影は潜んでいた。
彼女にも何かあるのだろうか。そう思って尋ねる。
「何かあるなら相談聞くよ」
「ううん、もういいんだよ。終わったことだからね」
 言って、駆け足で自宅の玄関に駆け込み、半ステップで振り返える。
「頑張ってね! 七瀬君っ!」
 口元で手を広げて大きく応援してくれた。その声は耳どころか心にまでしっかり届いた。
「ありがとう」
 茜にしっかり届いたのか、満足して自宅の玄関を開けていた。僕も帰ろうと玄関の取っ手に手をかけ、引っ張ると、
「東山さんの靴……?」
 鼓動がはやくなる。息切れもするしで、頭は最悪を思い描く。どうか、そうならないように天に祈るのみ。
「俺は出て行かせてもらう」
 父さんの声が聞こえた。そして、言っている内容は、僕が思い描いていた最悪の内容だった。そんなわけない。あの真面目な父さんが……と頭を振る。
「理央……」
 父さんが玄関に来ると、僕を見て固まっていた。そりゃ固まるよね。だって、僕はまだ息子だもん。
「出ていくの……? 東山さんと一緒に」
 父さんの陰に隠れていた東山さんを指差して言う。父さんは罰が悪そうだ。
「父さん……なんで? なんで僕らを……」
「捨てるの?」とは明確に言えなかった。自分でそれを言ってしまえば、何もかも汚わいな気がするから。言わなくても、終わってしまうのだろうけど。
「理央。お前も大人になれば時期に分かる」
 諦めたように父さんと東山さんと二人は僕の横を通り過ぎていく。……咄嗟に父さんのj肩を掴んで、引き留める。ギョッとした父さんの表情が目に入った。
「意味わかんないよ! そういう時ばっか子供扱いして! 僕は無口だけど怖いけど優しくないけど、でも、でも! 父さんを尊敬していたし、好きだった! なのに、父さんは、僕を、僕と母さんを捨てるの?!」
 肩を掴んでいた手に力が入る。でも、僕の力は父さんのいう通り子供で足りなくて、あっという間に乱暴に振りほどかれる。
「すまん」
 一言それだけ言われて。それがヘスからボタンをもらった五日目最後の出来事。

 夢を見た。父さんと母さんと一緒にピクニックを行く夢だ。そう、夢なんだ。
もう現実でそんな事ありえないのだから。それに、一緒にピクニックに行くことはおろか、出かけた事なんて、ここ何年も無くなっていた。それ程までに家族として何かが乾いてるのだろう。
「最悪な夢見だ」
 枕元に飾っていた写真を眺めると小学生である僕と両親が無垢に笑っていた。それが異様にムカついたから思いっきり壁に投げつけた。大して音は出ずにガラスは砕けた。僕らの家族の絆と同じように。
「母さん?」
 一階に降りると、リビングでいつも通り料理をしている母さんが居た。目元は赤く腫れあがり、髪はボサボサだ。余程堪えたのだろう。
「理央。料理できてるわよ」
 母さんは料理を食卓に置く。その料理を見てあることに気が付く。
明らかに量が二人分じゃない。きっと心では分かってても、長年染みついた作業が抜けなかったんだね……。
「美味しいよ。母さん」
 母さんはそれを聞くと頼りなさそうに笑う。
「理央。父さんの事話すね」
 箸を持っていた手に力が入る。箸は低くミシミシと音を鳴らす。そして、母さんはゆっくりと僕がいない間に何があったのか語ってくれた。
父さんは正直に言うと、最初から母さんのことを愛してなどいなくて、別の人と結婚したかったらしい。けれど、親が決めた相手である――母さんと結婚しろと言われ、仕方なくしてしまったと。でも、それ以降も父さんと東山さんはは時折会っては愛を確かめたそうだ。僕が小さい頃はおろか、もう大きくなってきたから別れを決意した……らしい。
 母さんは時折、嗚咽を漏らしながら涙ながらに話してくれた。
「ありがとう。母さんもう大丈夫だから」
 正直大丈夫なわけがなかった。実は自分が愛されていないことを大丈夫なんて言える息子がどこに居るのだろうか。居るわけがない。だから、内心心臓を鷲掴みされたような痛みがあった。それでも、今は父さんが居ない変わりに僕が母さんを支えないと。
「理央、ごめんね」
 何度も「ごめんね」と口にする母さんを見たくなかった。こんな光景見たくなかった。父さんはおろか、こんな世界すら許せなくなりそうだ。人に自我があるから、悲しいことを平気でするし、される。最悪だ。ヘスからボタンをもらってから六日目の朝だった。
「行ってきます」
 母さんを宥めて、学校へと向かおうと玄関を開けると、
「相沢さん?」
「うん、おはよう」
 そこには制服姿の相沢春香、僕の彼女が居た。デートしてから、まともに話した気がする。相沢さんは恥ずかしいのか、もじもじしていた。
「一緒に登校とかどうかなって」
 それに顎を引いて肯定すると、僕らは歩き出した。道中、明るく話そうと僕は徹底的に道化になりきる。退屈させないように、そして、悟られないように。
そのおかげか、一切気づかれる事なく、学校に辿り着いた。一旦、相沢さんと別れて、下駄箱から内履きを出す。そこで思いがけない――会いたくない人物に出会ってしまった。
「茜……」
「七瀬君……」
 やばい、感づかれる。明るく振る舞わないと。
「茜、おはよう! 今日はいい天気だね。こんな日はさ、サボりたいよね」
「七瀬君、何を言ってるの?」
「何っていつも通りじゃないか。あ、相沢さん待たせてるし、行くね」
 そう言い終えて、相沢さんの元へ向く。途中振り返ると、こちらに手を伸ばす茜の姿があった。ごめん、と心で謝る。これだけは茜には言ってはイケない気がした。

 その日は何度も茜は僕に話しかけようとしていた。何度も、何度も。
でも、僕は避けるように……実際避けていた。言いたくないから。茜に言ったら、心配させるだろうし、それに、茜と僕はただの幼馴染だから、そんな踏み切った事言えない。 避け続けて、放課後になった今、僕は相沢さんと帰っている。
彼女は、今日の学校の様子を喋っているようだが耳に入ってこない。
「ねー、聞いてる?」
「え?!」
 急に話を振られ、慌てる。そして、何一つ聞いてなかった。
「ご、ごめん」
「もうっ! せっかく仲直りしてるのに! 何考えてるの!」
 ぷんすか、といった様子で怒っている相沢さんは可愛い。
「それは……」
 言葉が止まった。言っていいのだろうか。嫌われないだろうか。でも、彼女は僕の彼女だ。なら、とそこまで思って、ふと茜の顔が横切る。それを頭を振って振り払うと、
「聞くから言いなよ」
 そう言った彼女に昨日あったこと全てを話した。両親が離婚すること。僕は愛されていなかった事とか。思いつく全てを話し終えた。
「……そっか。大変だったね」
 相沢さんはそう言って僕の頭を撫でてくれた。優しくて、甘い。それに思わず泣きそうになる。けど、ギリギリで堪えた。
「……私、頑張るから」
 相沢さんに元気をもらい、僕は家に帰った。彼女ともっと距離が近くなった気がして、心が軽くなる。玄関の扉を開けると、母さんの靴があり、居る事が分かった。
「ただいまー」
そう言っても一切返事は来ず、シーンと静まり返っている。
「母さーん?」
 再度呼びかけても、何もない。寝ているのか? リビングを除き見ると、
「母さ……ん?! 母さん!?」
 倒れている母さん。そして、散らかっている錠剤の薬。一気に頭がフル回転し、最悪のシナリオを描く。やめて、やめて!
「しっかりして! しっかりしてよ!」

 その日の夜。僕は病院に居た。緊急搬送された母さんの寝顔は実に穏やかだった。
先生の話を聞くと、今の睡眠薬は過剰にとっても中々死ねないそうだ。
母さん、そんなに死にたかったのか? この世界に何もなかったから?
いつかヘスが言った言葉を思い出した。
――死ぬことを許されないというのもある。
 今ほどそれを辛く強く感じた。そんなに死にたいなら、一層……ポッケに入ってる物を力強く握る。いや、それはダメだ。そんなのはダメに決まってる。
クールダウンするために病室から出て、自販機でコーラを買う。飲んで、渇きを潤す。
釣銭口から釣銭を受け取ると、公衆電話が目に入る。お釣りと交互に見比べて……僕は公衆電話に入った。そして、うろ覚えの番号にかける。プルルゥゥとコールが始まった。
心臓が加速する。そして、かけた人物が出てくれる。
「もしもし……?」
 公衆電話からかかってくるのが意外なのか、妙にそわそわしていた。
「僕。七瀬だよ」
「あ……七瀬くん」
 声を聞けてホッとした。嬉しかった。できることなら、会いたいとさえ思う。
「実はさ、今――」
「ごめんなさい!」
 相沢さんが大きな声で僕を遮る。そのアクションに僕は見覚えが、既視感があった。
それは父さんと話した時の拒絶だ。
「やっぱり、私には重いよ。受け止めきれないよ。ごめんね、七瀬くん」
「え、ちょっと待ってよ。何でだよ。相沢さんにまで、捨てられたら、僕は――」
 そこで電話が切れた。相手が切ったのではなくただ単にお金を入れ忘れていたみたいだ。
だから、何度も入れて相沢さんに電話した。けれど、結局、出てくれることはなくて、僕は捨てられた。そう確信した瞬間である。

 朝が来た。誰が病もうが死のうが朝は来る。世界はそういう風にできている。
憎たらしい。父さんも相沢さんも僕が居ない、いつもを過ごしているのだろう。
病院で朝を迎えた僕は、家に帰宅し、申し訳程度のシャワーを浴び、学校の支度をしていた。こんな時も学校に行くなんて、僕はくそ真面目だなと自嘲する。そういう風に育てたのは父さんだが。
朝、忙しそうに料理する母さんも不愛想に新聞を読む父さんも迎えに来る彼女も――
ピーンポーン。軽い鐘の鳴る音がこだまする。
それに慌てて出ると、予想外の人物が立っていた。
「おはよう、七瀬君」
 祭橋茜。僕の幼馴染だ。いつもと変わらない口調に、顔に、僕は思わず顔が歪む。
「大変だったね」
 彼女は僕に起きたことなんて、何一つ知らないのにそう言う。そう言ってくれた。
頬が熱くなり、体が震え、柄にもなく、彼女に抱き着き、涙を流した。
 茜は昔のように僕を撫でてくれた。慰めてくれた。嬉しかった。
そして、僕は落ち着くと、話し始める。父さんの事、母さんの事、相沢差の事。
「うん、うん」と静かに真剣に聞いてくれる彼女。でも、怖い。また相沢のように重いと言われ、居なくなられるのが。
「私は知ってるから。七瀬くんが苦しんでたの。話こそ知らなかったけど、苦しんでるのは表情とか様子見れば分かるから」
「でも、僕は……相沢さんと――」
「いいの。七瀬くんが誰と付き合うと私の好きに関係はないから。七瀬くんみたいに良い所はないけど、私想い続けるのって得意なの」
 笑顔で話す彼女が辛そうに見えた。相沢さんが大事なのは本当だった。憧れだったし好きだった。けれど、茜もずっと大切だ。それも間違いない。結局のところ、人はやっぱり一人では生きられないのだと思う。
「茜はすごいな。やっぱり」
「えー。そうかな?」
 照れたように笑う彼女。愛しく思った。それが好意とは思えないけど、それでも今はありがたかった。
「茜。学校には一人で行ってくれ。……僕にはまだやることあるから」
「うん、分かった。またね」
「またね」
 僕らはまた出会ってまた別れる。そういう意味を込めて「またね」
自分の部屋に戻り、呼びかけを行う。
「ヘス。出てきて」
 すると、部屋真ん中にヘスが突如出てくる。いつもの白のスーツ姿だ。 相変わらず似合っていない。……それも、もう、らしいとさえ思える。
「少年、決まったのかい?」
 それに顎を引き、肯定する。

「僕はこのボタンを押さない」

 そう言ってヘスにボタンを投げ渡す。ヘスはそれを受け取ると、僕の顔を見て尋ねる。
「俺の記憶だと、少年はここ数日最悪な日の連続だったはずだが?」
「最悪だったね。最悪も最悪。離婚はするし、母さんは自殺しようとするし、彼女には振られる。でも、最後に残ったのは希望だよ」
 ヘスは「ほぉ」相槌を打つ。
「きっと茜が居なかったら問答無用で押した。正直言うと、押すのが人類的に正しいのかすら、今では思ってる」
「ならば、なぜ?」
 僕は掌を開けては閉めてを繰り返し、その手を眺める。
「僕が押したくないから。結局は、世界なんて関係ない。僕のエゴ」
「そうかそうか、なるほどな」
 そう言うヘスは続ける。
「分かった。人類はこれで救済された。おめでとうと言っておく」
「うん」
 ヘスはまだ話があるのか消えようとしない。
「最後に、なぜ少年をボタンを押すか選ばせる役に選んだか、教えよう」
 そうだ。それだ。なんで、僕が選ばれたんだ。おかげで、たくさんの不幸も幸せも経験した。でも、それも今では良かった……とは思わなくても、悪かったとも言えないような。
「少年の幸福度が人口約七○億人の丁度半分目だったからだ」
「は?」
「言った通りだ。幸福度平均値だから少年にボタンを渡した。もし仮に幸福度トップに渡せば押すわけがないだろう? 逆も然りだ。押さないわけないだろう? だから、我々は本当に人類が望んでいる結末を人類自身に選ばせる必要があった。その平均値である少年が選ばれたわけだ」
 実に理に適っていた選抜だった、でも、そのせいで僕は色々な物を失った。
けれど、どれもヘスが言うには起こりうる物だったし、回避はどのみちできなかっただろう。だから、ヘスのせいにするのはお角違いだ。責めるのは自分自身のみ。
「しかし、俺も少年の姿には心打たれた。それで、少年にはプレゼントをやる」
「プレゼント?」
 今、何をもらっても嬉しくない気がするのだが、
「過去に戻してやる。俺と出会う前の。それで、やり直せっていうのは無理かもだが、まぁ、頑張ってみてくれ」
 ヘスは笑いながらそう言う。過去に戻る? それじゃ――
「今までのことは全部忘れるの?」
「そうだな。だけど、少年は成長した。大丈夫だ。少年なら、今度はうまくやれる」
「ヘスのことだって忘れるんでしょう?」
「俺のことはいいだろ。それよりも、自分のことを――」
「良くないよ! 良くなんかないよ。大事な事に気付かせてもらって、これだけ話せば友達でしょ? 友達を忘れて平気なわけないじゃないか!」
 ヘスはそれにきょとんとするが、最後には「へへ」と照れくさそうに鼻の下を掻く。
「じゃあな、理央」
 そう言うと目の前が一気に光で溢れる。光が爆発したようだ。僕は忘れたくないと心で叫び続ける。それに意味は無くても、叫んだ。

「――くん」「――くん!」
 体を、ゆさゆさと左右に揺らされている気がする。それの反動か、閉じていた目を開く。
開くと、そこには怒り気味の笑顔を浮かべている先生が居た。
「では、寝ていた七瀬くんに聞きましょう」
「はい……?」
「あなたはどういう時に幸せを感じますか?」
 ゆっくりと考え、僕は言葉を紡ぐ。それは今までの僕とは違うような答え。
「辛い時こそ幸せを感じます。それは幸せへの道だから」