ラノベとゲーム制作かもしれないブログ

オタクが最近読んだ見たラノベアニメ作るゲームの話を書きます。

すくーるかーすとっ!

小説

 


 屋上の風が爽やかに吹き抜ける。
 悪戯に髪を持っていかれそうになるが、髪を抑えて、それを防ぐ。
「…………私、知ってるんです」
 そう呟いたのは、俺――朱雀咲夜(スザク サクヤ)ではなく、暗木楓子(クラキ フウコ)。
 地味で根暗で、しかも、それでいて、オタクな彼女。言わずもとしれた底辺カースト
 クラスの、学校の人気者である、俺とは喋ることなんてない相手。
 日と陰。そんな対比が良くも、悪くも似合う関係だ。
 でも、そんなわけもないと俺はどこか分かっていた。いや、感じていた。
 だって、
「――あなたがオタクだってこと!」
 
 あぁ、上位カーストである俺の生活が壊れていく。
 
 *
 
「好きです! 付き合ってください!」
 夏がとっくに過ぎた校舎の外れ、正確には校庭の端っこ。
 俺は今朝、登校した時下駄箱に入っていた手紙の差出人と会っていた。
 彼女は不安そうに俯き、手を世話しなく動かしてはこちらを、ちらちらと見つめる。
「――ごめん。今は付き合うことができない」
 諭すように彼女に伝える。
 彼女は、少しして、コクリと静かに頷く。この様子だと最初から、こうなることを予想していたのかもしれない。
「はい。お話し聞いて頂けてありがとうございますっ!」
 過剰に元気に演じてるのが丸わかりだ。
「本当にごめん。……でも、好きになってくれてありがとう」
 できる限りの笑顔を浮かべて、そう答えた。
 彼女も、それを見て、左目に涙を浮かべながら、
「はいっ! 私も先輩を好きになれて本当によかったです! それじゃ、いきますね」
 そう言って笑った彼女の顔に一粒の涙が零れた。
「後輩だったのか」
 そう、俺は彼女のことをまったく知らない。会ったのだって、ついさっきが初めて。
 そんな俺のことを彼女は好きと言ってくれた。
「さーくやっ!」
 背中から衝撃が全身に伝わる。
 馴染みのある声の方に振り向く。
「天満か」
 そこには短く整えられた髪の毛に、獅子のような鋭い目。そして、小柄な男。
 俺の友達である、春日部天満が居た。
「また告られてたのかよー、うらやま。うらやま。あー、俺も彼女欲しいわー」
 どうやらさっきのやり取りを聞かれ、見られていたらしい。悪趣味な奴。
「まぁ、悪い気はしないけどさ……」
「で、また断ったんだろ?」
「あぁ、まぁ、そうだな」
「かぁー。お前、そのうち真面目に刺されるぞ。……男子から」
 その光景を想像したら、自然に背中が震えた。
「怖い事言うなよ。本当になったら、どうするんだ」
「はは、なるわけないだろ。そこまで行動力あるなら、もっと別の事してるだろ」
「それもそうか」
 そろそろホームルーム始まるぞ、と天満が言うと、俺たちはクラスに戻ることにした。
 クラスに戻る道の中、俺はいつもの視線にうんざりする。
 道行く女の子が俺を見ている。気とかで勘違いではなく、間違いなくそうだ。
 それに今朝のような事――告白されるのだって、別に今日が初めてというわけではない。
 むしろ、毎朝の日課なんじゃないのか、というくらい頻繁に行われる強制イベントだ。
 別に嫌ではない。嬉しいのだけど、俺の中にはもう少し静かに暮らしたいという願いもある。
「それにしても、もったいないよなー」
 天満が階段を上りながらボヤく。
「何が?」
「今日の告白相手だよ。ほら、あの子一年の中だと一番可愛いって話題だし」
「あぁ、そうなんだ」
「え、何。まったく興味ないの?」
 まったく興味ない、と正直に言うと、天満は顔をしかめた。
「お前、ホモなの?」
「バッ――! ちげぇよ!」
「じゃ、それ何なの? なんで、付き合わないの?」
 俺より先に階段を上っているため、見下ろされる感じで問われる。
「なんでって。別に理由はないよ。……それだけだ」
 軽く受け流すようにいつもの事を言う。決して嘘ではない。
 その答えに不満なのか、天満は目を細めた。
「いっつもそれじゃん」
「そりゃ、断る時はいつもこの理由だからな」
「ふーん、ま、いいか。あ、でも、あんまり女の子泣かせるなよな」
 肩を叩いて、天満は一人先に教室に駆け込んでいった。俺も、肩を竦めて教室に入る。
 周りから、おはよう、などの声がかけられ、それに答えていく。若干一人を除いて。
 俺の席の一つ後ろの――暗木楓子(クラキ フウコ)だ。
 暗木とはこのクラスになってから――一ヶ月何も話していない。何なら人生でまだ話したことない。この学年の他の人、全員に話しかけられたことのある俺なのに。
 彼女だけは、俺に何も話してこない。だが、それも、もう日常化していた。
 暗木のだらだらとして、それでいて、おしゃれのように着崩しているようなわけでもない着方の制服も、眼鏡から透けて見える死んだような目も、口元がなぜかいつもだらしなく開いてるのも、それでいて、いつも本を読んでいる姿も、日常化として、気にならなくなくなっていた。
 最初は正直引いたけど。
「ほらほら、お前ら席つけー」
 担任が入り、そう告げると嘘のようにクラスメイトたちは席に着き始めた。
 俺は、鞄に入っているノートや教科書を机の中に仕舞おうとすると――
「おっと、いけね」
 ノートを一冊、床に落としてしまった。それを、拾うと手を伸ばすと、
「あ」
 一つの手しか伸ばしていないはずなのに、そのノートには二つの手が伸ばされていた。
 俺のと暗木のだった。それが暗木と俺の初めての接点である。
「あ、ありがとう」
「え、えと。はい」
 結局ノートは暗木が拾い、それを受け取る。もらったノートを見て、俺は目を疑った。
 そのノートは黒歴史以上に黒く、俺に傷を生んだノート。誰にも見せてはいけないものだ。
 おそらく家で勉強をしていた時にすり替わったのだろう。
 くそ、なんてことだ!
「? 朱雀さん……?」
「な、なんでもない!」
 動揺が顔にでも出ていたのだろうか。暗木が心配そうに見る。
 これを、みんなにはおろか、暗木に見られたら、その時点で高校一年から二年の今まで築き上げたもの全てが、意味をなくしてしまう。
 だから、これだけは知られてはいけない。

「んじゃ、気を付けて帰れよー」
 今日の授業が全て終わり、担任がそう言うと、クラスメイトたちは返事より先に我先に教室を飛び出していく。
 俺も帰るか、と思い、鞄を引っ提げる。
「咲夜、帰んの?」
 天満が帰り気味に話しかけに来た。嫌な予感がする。
「え、あぁ、そのつもりだけど」
 鞄にノートという爆弾が入っているため、はやく帰りたい。
「ごめん、少し手伝われてくれない?」
「何を?」
「校内通知の張り紙があってさ。……こんだけ」
 ドサっと机に張り紙の束を置く。これは一人じゃ、やれる量では……ないな。
 ちらっと天満を見ると、困ったような表情をしていた。
 はぁー、と溜息をつき、
「ほら、貸せよ」
「え?」
「だから、貸せって。少しだけならやってやるよ」
「咲夜っ~~~~!」
 泣いているのか、分からないが腰に抱き着く天満はどこか嬉しそうだった。
 しかし、俺からしたら気持ち悪い。
「や、やめろ! さっさと終わらすぞ!」
 そう言うと、俺は鞄を机の脇に立て掛けておく。
 クラスには誰にもいないし、大丈夫だろ。
「咲夜、ほらほら。ハリアップ!」
「あ、あぁ」
 短く返事をすると、天満に付いて行った。
 
 それから、俺が教室に戻ったのは夕日が沈みそうな時だった。
 天満は教務室に鞄を置いていたみたいで、そのまま帰るそうだ。薄情な奴め。
 しかし、俺は教室に鞄を置いていたため、再び教室に来たわけだが――。
「……な」
 扉を開けて、俺は絶句していた。だって、
「暗木。おま……何して……」
 暗木が俺の鞄であろう物を床に出して、必死に集めていた。
「!? ち、違うんです。 私、ドジだからたまたま鞄に引っかかって、それで……」
 なるほど。そういうことか、と頭を必死に動かし納得する。
 暗木が移動した時、鞄が何かに引っかかって、倒れ、中身がぶちまけられたということか。
「はぁ、大丈夫、大丈夫」
 そう言って、腰をかがみ暗木を手伝う。
 例のノートをいち早く自らの手で保護、もとい拾いたいのもあったが。
「……がらないんですね」
「え?」
 暗木が何かを言っていた。よく聞き取れずに聞き返したが、暗木はそれに答えることは無く、床に落ちている最後のノートを渡してきた。
「いえ、すいませんでした」
「え、あ、や、ちょ」
 それだけ言うと、暗木は急いで教室を出て行った。
 頭を少しかいて、ポツンと呟く。
「変な奴」
 
 *
 
「あ、この曲聴いたことある」
「あがっ?!
 翌日の昼休み。
 俺はいつものように、天満と共に教室で昼飯を食べていた。
 その時、ふと校内放送で流れた音楽に天満が関心を示す。それが意外で口に入れていたコロッケを吐きそうになる。
「これアニメのだよな?」
「なぁって、俺は分かんねぇよ」
 本当は知っていた。これが何のアニメで、何という曲なのかも。
 しかし、俺は言えないでいた。
「結構好きなんだよねー。なんというか、頭に残るっていうかさ」
「ほ、ほぉーん。そっか」
 それを近くで聞いていたのか、クラスメイトの羽田という男子が、
「天満、オタクかよ。きっもー、まじドン引きぃいい~!」
 人差し指を突き出し、左右に振りながら言う。そのつまらなさに俺もドン引き。
 しかし、天満は笑って、
「よせよ、そういうんじゃなくて、俺は音楽性とか歌詞とかが良いねって言ってんだよ」
「いやー、でも、実際問題オタはきついっしょ! っしょ!」
 羽田は紙パックの牛乳を片手にそう言う。頭悪そう、というか、頭悪いだろうな。
「そんなことねーだろ、人の好きな物そんな事言うなって」
「えー、天満こりゃまじオタ、ガチオタそうだな。うわうわ、暗木のオタクでもうつったのか?」
 羽田は俺の後ろに座っている暗木のことを指した。今この場に居るのに。
「おい、やめろって。お前タチ悪いぞ!」
 天満は声を荒げた。それにびっくりしたのか、それとも、羽田の言葉が気になったのか暗木は体を強張らせた。
 だが、俺は分かる。羽田がそう思うのも。だって、正直、今この日本でオタクなんて人種は良い扱いを受けない。それもそうだろ。先人たちが碌なことをしていないからだ。
 テレビに出れば、キモいファッションに奇行に発言。そんなことをしていたら、イメージなんて簡単に悪くなる。だけど、彼らはそれを世界の、世間のせいにする。
 ――俺たちは悪くねぇ!
 そう主張する。今までの自分たちの愚行を見て見ぬふりをして。だけど、少なくとも、ここにいる暗木はそんなこと……していない……かな。たまに気味悪く笑ってるから何とも言い難いが。
 それでも、暗木が悪く言われるのは俗に言うオタクからだ。
 そう、一般ピーポーから見れば、オタクなんていうのはどいつも同じ。日本人がアジア人と言われる様にオタクはオタクと認識され、そうなれば、キモいファッション、キモい口調してるって扱いを受ける。そういうことをしている、していないに関わらず。
 それが、今の現状だ。だから、オタクをしているのなんて公表するのなんて一文の得もありゃしない。むしろ、千文の損だ。
「咲夜もキモいと思うっしょ? しょ?」
 羽田が今度は俺に話題をパスしてきた。ここで、俺は迷ってはいけない。
「あ、あぁ。俺もないと思うね。さすがにちょっと……な」
「咲夜、お前までも……!」
 天満は俺を睨めつける。その目は敵意が籠っていて少し怖くなった。
 それと反面、天満は良い奴だなと思う。
「ほ、ほら。俺にだってさ、好みとかあるんだからさ……。悪いけどさ」
「咲夜の言い分はもっともっしょ。しょ」
 羽田が肩に手を回してきたが、それを振り払う。
「……もういい、やめやめ」
 天満が諦めたように頬杖をつきそう言う。
「……そ……だな」
 それに同意すると、羽田は天満をイジれずつまらなくなったのか黙って去って行った。
 くそ、あのチャラ男め。爆弾投げて、処理しないとか、なんなんだ。
「……咲夜」
「ん?」
 天満はそっぽを向いていて、どういう表情をしているか見えない。
「ホントにそう思ってるのか?」
「――オタクは好きじゃない」
 俺はどういう表情でこれを言ったのだろう。自分でも分からない。
「そっか」
 どこか呆れた、それとして、悲しそうな声だった。

 放課後。
 天満と共に帰ろうと、生徒玄関で靴を履き替えようとしたら、
「あ」
 自分の下駄箱の、外履きの上に一通の手紙が置いてあった。
 とりあえず、表と裏を見る。差出人は……不明。
「まーた恋文ですか」
 からかうように天満は笑う。
 そして、そっと、しかし、力強く背中を押す。
「行ってやれよ」
「あぁ、悪いな」
 そうして、俺は天満を置いて、ひとまず歩き出す。
 歩きながら、中身を確認する。差出人はやはり、不明だ。
 しかし、場所だけが記されていた。少し遠いが、仕方ないと目的地を目指す。
 運動部が部活をやっている中、廊下を歩き、階段を昇りきり、たった一枚設けられた分厚い金属の扉をあける。
 オレンジ色になりかけていた空が一番近い場所――屋上に辿り着いた。
 差出人であろう人物は、俺に背中を見せ、長い髪を風に揺らしていた。
「えっと、君……が俺を呼んだ人かな」
 そっと、話しかける。相手は俺に気付いたのか、振り替え――、
「暗木……?」
「はい、朱雀さん」
 そこには俺と最近、いや、昨日までまったく接点がなかった暗木の姿があった。
 ということは、俺を呼んだのは暗木ということになる。
「な、なんのようだ?」
 なぜだか、どきどきする心臓。喉だって乾く。
 それと、反対に彼女――暗木は冷静で、口元に嫌な笑みを作る。
「…………私、朱雀さんの事」
 思わず生唾を飲み込む。

「――オタクだってこと知ってるんです!」

 嫌な汗が背中を拭う。ワイシャツがべたつく気持ち悪さを感じ答える。
「そ、そんなわけないだろ」
「そう言うと思って、証拠を持ってきました」
 制服からスマホを取り出し、何やら操作し始めていた。
 その光景を、ただ、じっと見つめる。
「これは?!」
 やがて、暗木はある程度接近して、それを俺に見せつけるかのように、強引に目の前に差し出した。映っていたのは、俺の黒歴史である――自身で自ら執筆したラノベだ。
「私も初めて見た時は驚きました。まさか、クラスカースト上位、学校でもかなりのリア充なあなたが、こちら側の人間でしただなんて」
「バッ――! どこでこれを……」
 昨日の朝のノートに、放課後のぶちまけた鞄の中身。もしかして、
「すいません。昨日の朝、少し中身が見えてしまって」
「それで、放課後にとったていうのか?」
 さっきは涼しく感じた風も、今では嫌な涼しさに感じる。
「はい、途中で戻って来られたので仕方なく、鞄の中身全てぶちまけてしまいましたが」
 暗木は可愛い子ぶって下をちろっと出す。今はそれがムカつく。
「あ。あれは俺のじゃない! 違う!」
 喉からすぐに出たのは虚言だった。
「そうですか? 私は筆跡など見ればあなたのだと思うのですけと。まぁ、本物かは、いいんです。正直な話」
「何言ってんだ?」
「大事なのは、そういう風に疑われる、思われる……ことなんですよ」
 羽田との会話を思い出す。そうだ、大事なのは事実なのではなく、そういう風な火種があるのかどうかだ。だが、
「暗木の言う事をみんなが聞くのか?」
 そう、上位カーストの俺の言う事は信じても、暗木のような底辺カーストに誰が耳を貸すのだろうか。
 暗木はどこか退屈そうに息を吐き、答える。
「朱雀さん、がっかりです」
「何がだ?」
「確かにクラス、ひいては学年の人は私の叫びより朱雀さんの呟きを信じましょう。しかし、もし、それが私ではなかったらどうですか?」
 体に緊張が走る。
「これを学校中の掲示板にあることないこと書いて貼り付けます。すると、どうでしょう。私ではなく、匿名の誰かになります。この年頃になると、不思議ですね。誰かの鮮明な声より、出所不詳、神出鬼没の声の方が怖く、信じやすいのですから」
「……にが」
 手は震え、足は笑っていた。悔しいが、従うしか俺の生活は守れない。
「はい?」
「何が目的だ?」
 暗木は一瞬、きょとんとすると、すぐにそれは嫌な笑みに変わる。
「私が望むことはただ一つ」
 彼女は眼鏡を外し、真っ直ぐに俺を見つめる。
「――天満さんと付き合うのを手伝ってください」
「……は?」
「いえ、ですから、私と天満さんが付き合うための協力を申し出てるのです」
「そ、それでいいのか? その、もっとこう野望めいたものじゃなくて」
「私の心にはすでに天満さんと寄り添いたい、隣に居たいという野望がありますけど」
「天満ってあの優しい天満?」
「あの優しい天満さんです」
「天満ってあの運動が得意な天満?」
「あの運動が得意な天満さんです」
「天満ってあの頭が良くて顔もいい天満?」
「あの頭が良くて顔も良い天満さんです」
「天満ってあのロリペド趣味の天満?」
「あのロリペド趣味の天満さんです」
「どの天満だよ!」
 そこはツッコんでくれ! ていうか、好きな人それでいいのか……。
「あ、違うんですか?」
「好きな人のことくらい信じてあげろよ……」
 暗木はクスッと笑う。
「朱雀さん、面白いですね。天満さんがいなかったらあなたに惚れていたのかも」
「抜かせ、このやろー」
 ふふ、と暗木が笑うと完全下校のチャイムが学校に鳴り響く。
「あ、チャイム鳴っちゃいましたね。じゃ、また明日」
 そう言うと俺を追い越す。
 追い越す間際に「――放課後」と囁かれた。
 振り返った時にはもう彼女はいなく、屋上の扉が開いてるのを見れただけだ。
「変な奴」
 そうポツリと呟く。
 第一印象とは全然違くて、本当にあのオタクの暗木なのかと疑うほどだ。
 いつも、あんな風に振る舞っていてオタクを捨てていたのなら、今とはきっと違うことクラスカーストになれたのだろうに。不思議だ。
 なぜ、そこまでしてオタクを捨てれなかったのだろう。
 
 *
 
 翌日の放課後。
 俺はいつもクラスで授業をしている棟とは別の、所謂部活棟に来ていた。
 なぜかと問われれば、それは俺の右手が握っている一枚の紙がそこの一室を示していたから。
 この部活棟、部活棟とは名ばかりで実際にはほとんど使われていない。
 設備は悪いわ、空気も悪い、おまけに不気味ときたものだ。そのような理由で段々と廃れていって、今ではいい隠れ家としてくらいしか使われてていないだろう。
「お、ここか」
 目的地に着いたから、足をとめた。
 ふぅー、と息を吐く。
 な、何を緊張することがあるのか。普通に呼ばれたから来ただけだ。言わば、立場は俺が上。俺が上だ! よしっ!
 意を決して、扉をガララっと開ける。
「朱雀さん待ってましたよ」
 出迎えたのは暗木。
 教室をぐるっと見渡すと、特に何も変わらない普通の教室。中央に机と椅子が一組ずつあった。
 暗木が、ここに座ってください、と促す。座る僕と反対に暗木は黒板を背に立つ。
「では、ようこそ」
 そういって、何か文字を黒板に書き始める。
「――天満攻略対策本部に」
「は?」
 でかでかと書かれた「天満攻略対策本部」という文字に引く。どん引く。
 なに、ここ。怖い。お家帰りたい。
「どうしたの、朱雀さん。そんな、 「あ、この人何言ってんだろ。これはキモオタだな」っていう顔は」
「…………」
 俺は目を瞑る。
「え、何か言ってくださいよ」
「いや、正確に俺の心読むんだなって思って」
 目を開けながら答えた。
「そこは嘘でも否定してください」
「あ、ごめん。で、なんだっけ、その絶滅危惧種保護前線がなんとか、だよね」
「思いっきり、話聞いてないですね」
 呆れたように肩を揺らす暗木。
「ごめん、ごめん。どうでもいいことと男の話だけはシャットダウンしてくれるんだ、この耳」
「後者に比べて、前者の守備範囲広いね。って、話、戻していいですか?」
 俺は思いついたかのように言う。
「あ、いいよ。話戻さなくて」
「暗木、はい、戻します。はい、私語ダメ」
 勝手に戻されてしまった。
「で、この天満攻略対策本部なんだけど、文字通り天満さんを攻略するために存在しています。その攻略の意味合いとしては、私、暗木楓子と春日部天満さんが付き合う事を意味しています。はい、ここまでで質問は?」
 どうあら挙手せいぽいので、静かに手をあげる。
「はい、やりちんくん」
「俺はやりちんじゃねぇ! 本部ということは、支部があるということでいいのか?」
「はい。具体的にはニューヨーク支部、ロンドン、イラク、ドバイにあります」
「うん、さらっと嘘言うのやめようか」
「ちっ……!」
 なんで、この人舌打ちした? ねぇ、なんでした?
「そんなことは置いといて、俺が聞きたいのは一個!」
 暗木から、自分から振ったくせに、という声が聞こえるが無視。
「なぜ、天満なのか? 否、なぜ、天満を好きになったのか!」
 暗木は、きょとん、とした後、すぐに何かを覚悟したような目をする。
「――あれは、二年になってすぐの春のことです。私は、正直憂鬱な気分でした。それは、ネトゲの商会で物品が売れなかったとか、あー、くそ、学校怠い滅べ、みたいなこと思ってたからってわけではありません」
 絶対、やってたし、思ってただろうな。
 何かを思ったのか、暗木は「むっ」と顔を歪ませたが、すぐに話を続けた。
「とにかく! 学校は死ぬほどダルくて、でも、お母さんが学校に行けと言うのでしっかり行きました。ふらふら、とした足取りで危なくも学校に着きました。しかし、私はそこで体力を使い果たし、倒れました」
「いや、なんでだよ! 頑張れよ! あともう少しだから!」
「天才と凡人の差って……やつですぜ、へへ」
「何、言ってんだよ。意味わかんねーよ! てか、照れるな!」
 暗木は掌を見せてきて、待てと言う。話はここからです、とも。
「それで、私は一人の男の子に会いました」
「おぉ!」
「それは――ジョンマイケルです」
「誰だよ!」
「四組の転校生のジョンくんです。愛称はボブです」
「ジョン要素がまったくねぇ――っ!」
 もう朱雀さんはうるさいですね、と暗木は言う。俺も本当に静かに、好きになったイベントの事聞きたいんだ。本当に。
「ジョンくんは……置いといて」
 ジョン切ない。いや、ボブよ。
「なんとか、立ち上がった私はまた歩き出しました。……見えない明日へ」
「おう、歩け歩け。むしろ、走れ」
「しかし、思った以上にダル……、疲れていたので途中で転びそうになりました」
 絶対、ダルかったんだろうな。
「あ、これもうダメだ。死ぬ。異世界転生だ。と思った時に、天満くんは助けてくれました」
「……はぁ」
 暗木は、どやっ、と胸を張る。
「チョロインだな」
「なっ――! 何でですか! 運命ですよ、これは! それを、何てこと言うのですか!」
 先ほどの顔とは一転して、憤慨した様子で声をあげる。
「運命確率低すぎだろ……」
 でも、と俺は続ける。
「いいんじゃねぇの?」
「え?」
 少し驚いたのか、きょとん、とする。
「別にどんなことが起きて、その人を好きになってもそれは尊いもんだからさ。だから、きっと、お前は何も可笑しくないし、それが正しいと思うよ」
 自分の正直な気持ちだった。なぜだか、そう思えたから。
「さ、さすが! クラスカースト上位の朱雀さん! この崇高な話が理解できましたか」
 まったく目を合わせずに、そして、頬を少し染め、暗木は言った。
「……ありがとう」
 暗木は確かにそう言った。そう言ってくれた。
「それで、俺に協力して欲しいんだっけ?」
「ですです」
 コクリ、と暗木は頷く。
「具体的には?」
「…………」
 そっー、と目線を外してきた。俺は目頭に指をつまむように置く。頭が痛かった。
「……まずは、天満が今現在、付き合っている人が居るのかと女の子の好みだ。それを聞いてから、今後の計画を練ろう」
「は、はい! ありがとうございます、隊長!」
「隊長ではなく、教官と呼べ!」
「はい! 教官!」
 暗木は、元気に敬礼をし、答える。
 それと同時に、俺は、俺たちは顔を合わせては笑った。笑い合った。
 暗木と話すと、楽しいと思える。でも、それ以上に――怖い。
 こいつと話して、協力して、俺までオタクと思われるのが、とてつもなく怖かった。また、中学のような絶望を俺は味わいたくないから。クラスカースト上位になったのに。
 しかし、暗木に秘密を知られてしまった以上、どのみち付き合うしかない。
 それなら、はやいとこ、天満と暗木をくっつかせなければいけない。
 
 *
 
「天満、お前今付き合ってる奴居んの?」
「あがっ!?」
 翌日の昼休み。
 いつも通り、天満と昼食を食べているときに俺は尋ねた。
 いつもじゃない俺の様子を見て、天満は目を丸くする。実際、天満にこんなことを聞いたのは初めてなわけだし、俺自身、変に緊張した。
「な、なに言ってんだよ」
 天満の眉が少し上がる。
「だから、彼女の有無だよ。ほら、俺ら学生なわけだし? 来年大学受験だし? 遊べるのは今だけだろうし、天満は彼女居るのかなって」
「はぁ……」
 天満はよく分かっていない感じで、曖昧に返事をした。
 分かっていないのなら、それはそれでいい。ただ答えだけ聞かせてくれれば。
「まぁ、いないけど」
 俺が再度問いただすより、先に天満の口が動いた。
「そ、そうか……」
 これは驚いた。なぜなら、天満はモテるからだ。
 俺より、とは言わないが、それでもほとんど変わらないレベルでモテていると思う。
 容姿もいいし、性格も優しく、いいだろう。俺なんかより、モテる要素は確実に多く感じる。
 そんな天満が彼女居ない、というのは、やはり、驚く。居ておかしくないからだ。
「でも、なんで、そんなこと聞いたんだ?」
 暗木のこと言うか迷う。好き、とまで言わなくても気になる、と一言言えば、こいつも暗木の事を良い意味で意識するのかもしれない。よし、言おう。
「それはく――。いっ?!」
 右足思いっきり蹴り上げられる。いや、正確には引っ掛けられる。
「あ、朱雀さん。ごめんなさい」
 そう言う彼女の目には意思が籠っていて、それを察する。
 
 ――余計なことは言うな。
 
 それだけ、伝えると暗木は教室を出て行った。
 それとなく、伝えるのはダメらしい。
「暗木の声、初めて聞いたけど、綺麗だな」
 天満が暗木を出て行った先を見つめて、ニカッ、と爽やかに歯を見せて笑う。……初めて?
「初めて? 本当に初めてなのか?!」
 思わず、声を荒げてしまい、天満は少し驚いた表情になる。
「え、あぁ。だって、暗木と中々接点ないしな」
 暗木の話と違う。暗木が天満を好きな理由は紆余曲折あって天満に助けられたというものだ。
 それならば、一言くらい話すだろう。今まで、話したことが無いのなら暗木の言ったことは、嘘になる。
 しかし、天満が憶えていないだけというのもある。けれど、
「どうかしたか?」
 こみかみに指を置く。
 天満を正とするなら、暗木は俺に嘘をついていることになる。これが、今の最有力説だ。
 なぜなら、天満は嘘をつかない。嘘を聞いたことが無い。それこそ、嘘って言われそうだが、少なくとも俺は嘘をついたとこを見たことが無かった。だから、嘘をついている、というのは考えにくい。
 そうなると、必然的にやはり、暗木は嘘をついていることになった。
 しかし、一つ疑問が頭に残る。なぜ、嘘をついた?
 俺に知られたくないから? 誰にも話したくなかったから?
 考えるほど、分からなくなった。
「咲夜?」
 天満が俺を心配そうに覗き込む。
 ――本当に暗木を憶えていないのか?
 という、言葉が喉に出かけるが、それを飲み込んだ。
「少し考え事してただけ」
 余計なことは言うな。さっき、暗木が俺に示したことが、これなら俺は何も言うべきではない。
「なら、いいけど」
 しかし、どうしても、その嘘が俺の頭から離れてくれなかった。
 
 同日放課後。
 俺はまたしても、部活棟にある――天満攻略対策本部に来ていた。
 熱心に今期のアニメ面白いランキングを語っている暗木を尻目に、携帯をイジる。
 クラスの集合チャットでは、羽田の悪口で盛り上がっていた。……どうでもいいけど。
「こら、朱雀さん。携帯見てないで、話を聞いてください!」
「少しは聞かれるような話をしてくれたらな」
 そう言って、携帯をイジり続ける。
「今期の批評じゃないですか。聞き応えありありましまし、じゃないですか」
「そうだな。胃もたれしたから、少し休憩する」
「なーにーも、聞いてないじゃですか!」
 暗木は両手を上に掲げて、思いっきり抗議する。俺は嘆息し、意見を述べる。
「なら、少しは今後の事をだな……」
「それは朱雀さんがやるじゃないですか」
 俺は固まってしまった。確かに、昨日遠回しに協力してやるよ、的な感じになったけど、他力本願過ぎませんか、それは。
「いやいや、俺が天満に告るわけじゃないんだからね? 暗木が言うんだからね?」
「え、朱雀さん、ホモだったんですか?」
「だから! だ、か、ら! それ! 違うから!」
 そのネタしつこすぎて、もう嫌だと心で泣く。
「で、暗木さん。そういうこと言うのなら、彼女と好み聞いてくれたのですよね?」
「お、暗木。あんなところに窓ガラスがあるぞ」
「話の逸らし方が雑っ!」
 ちっ、と舌打ちをすると、話さないわけにもいかないので話し出す。
「まず、天満に彼女はいない」
「よし、よし、よぉおおし!」
 思いっきりガッツポーズをする。暗木のその姿はさながら、甲子園優勝を果たした選手のようだ。実際には地区予選突破くらいだが、今は。
「で、好みは知らん」
 暗木の顔にクエスチョンマークが浮かび上がる。ダメ押し気味に再度口を動かす。
「だから、天満の好みは聞けなかった」
「何してんですか、朱雀さん。何しに学校に来てるんですか? 死ぬんですか?」
 暗木はメガネをクイッと持ち上げ問う。
「学校には勉学を学びに来てんだよ。それに、あんなことあったら……」
 あんなこと――暗木のついたたった一つの嘘が俺の心にこびり付いていた。
 何度洗っても取れない汚れのように、しつこく、根強くとある。
「あんなこと?」
 首を傾げ、暗木は分からない顔をしていた。
「いや、いいんだ。それより、聞けなかったのは確かに悪かったな。俺から言ったのに」
「いや、えっと、べ、別にいいですよ。……朱雀さんには色々感謝して……ます……し」
 暗木の顔が、長い髪から透けて、りんごのように紅くなったのが見えた。
「でも、明日から土日で連休入ってるし、しばらく聞けそうにないな」
 そう、今日は金曜日。華の金曜日である。社会人も、学生も大半は休みだろう。
 もちろん、例外もある。休日出勤に補習など、日本は数々の闇を抱えている。あー、怖い。
「そうですね」
 考え込むように、暗木は顎に手を添える。長い髪の毛がさらさらと揺れる。
「そうです!」
 何かを思いついたのか、手をポンっと判子のように自身の掌に押す。
「聞きたくない」
 耳を塞ぎ、情報が入ってこないようにする。嫌な予感しかしない。
「明日は課外活動にしましょう」
 情報が入ってきてしまった。それなら、それで反論に論じよう。
「いや、それはやめよう」
「なぜですか? 聞きましょう」
「え、えっと、明日は女の子とお出か――」
「断ってください」
「それじゃ、家族と――」
「断ってください」
「お前はなんなんだ! 何の権限があって、俺の休日を奪う?!」
 すると、暗木は制服からスマホを取り出し、それを見つめ、読み上げる。
「俺は黒い雨が降り出す戦場に居た。背に負うのはどんな物もたちまちに斬りあげる暴君――魔剣ディスタイラント――」
「わ、分かった。分かりました。ですから、どうか、お慈悲を。お慈悲をぉおおお!」
 それ以上、俺の黒歴史――ラノベを読むのはやめてくれ! 
 自然と地に、床に頭をこすりつける体勢になる。上から、暗木が見下して、ニッコリと笑う。
「優しい人は大好きです」
 スラリ、と伸びた足。それを見て、思わず、ゴクリと唾を飲む。
「暗木の足……、はぁはぁ、たまんね、はぁはぁ……」
「え、何、きもっ! きもきもっ!」
 ずかずか、と脚蹴りされる。一部の男性にはきっと羨ましがられるだろう。
「痛、痛いって! 冗談だから! アメリカンだから!」
 まったく、と言い暗木はスカートを後ろ手に支えていたのをやめる。冗談が分からないな。
「それで、明日何をすればいいんだ?」
 そう言うと、暗木の眼鏡が光った――気がした。また嫌な予感がし、背中が震える。
「ふふ、それはですね――」

*

 土曜日。午後。時間にして、二時十五分。
 場所は、駅前。そこで、俺はクラスメイトの根暗オタクの暗木と待ち合わせをしているはずだ。
 はずだ、と言うのも待ち合わせ時刻は二時だからであるわけで、もう十五分もオーバーしている。俺は今日暗木とデートなのだ。デートって言っても、模擬的な物で、あくまで対天満として、俺が付き合う予定のもの。
「本当遅い」
 時間にして二十分はここに居る。律儀に十分前なんかに、来なきゃよかった。なんなら、遅刻だってできた。時間を無駄にした感じで肩も下がれば、テンションも下がる。
 街行く人は俺を不思議な目で見つめていた。ずっと、駅前で突っ立っているだけだろうか。
 特に、女性が俺の顔を見て、指差しているのだけど、不快だな。
 嘲笑われている気がして、すごく不快で、携帯を開いてチャットで暗木にメッセージを送る。
 昨日、俺から暗木に教えてくれと言って、すんなりと暗木は教えてくれた。暗木のアイコンはやっぱり、アニメのアイコンである。
「あ、あの……!」
 肩をつつかれ、振り返る。すると、そこにはギンガムチェックに、黒のカーディガン、白のロングスカートの今時っぽい、少し年上そうな女の子が佇んでいた。
 ちなみに、もちろん、暗木ではない。完全完璧な別人だ。
「あ、なんですか?」
 余りに呆気にとられたので、返事を忘れそうになる。
「えっと、もしかして、お一人ですか?」
 一瞬、暗木を思い浮かべるが、今は一人だ。今は、一人である。
「そうですけど、何か?」
 なるべく、大人っぽく見せるために手振りを交えて話す。
「私たち、あ、この子もなんですけど」
 そう言って、後ろからひょこと現れたのは背の小さい、清楚なブラウスを身につけた、俺とそんなに歳が変わらなさそうな子だった。
「あ……の……、え……っと」
 おろおろ、とした言動で、後ろに隠れていた女の子は俺に何かを伝えようとしていた。
「ごめんなさい、この子があなたのことを気になって」
「――! お姉ちゃん! やめてよ、もう……っ!」
「何よ、あんた学校でいつも――」
「だから、そーいうのやめてって! 言ってるの、もうっ!」
 お姉ちゃんと呼ばれている、呼んでいる様子をみるあたり姉妹なのだろう。
 それも、仲睦まじい姉妹で、微笑ましさ、すら覚えてしまう。
「俺は一体、どうすれば……」
 その時、ポッケに一瞬の震えが走る。なんだ、と思いポッケを弄った。
 携帯が鳴ったみたいで、それを取り出し、慣れた手つきでタップする。暗木からメッセージが届いていたので、それを開く。
 ――女の子とイチャイチャして何、楽しんでるんですか。
 この現場をどこかで見られている? どこだと思い、周りを見渡すが、見当たらない。
 見ているなら、はやく来いよ。何で、楽しんでるんだ。
「あ、あの……咲夜くん?」
「え、あ、何?」
 妹さんの方に呼ばれて、急だったため、あたふたしてしまった。というか、なぜ、俺の名前を……?
「だからさ、この子と遊んでくれない?」
 何が、だから、なのだろうか。
「ごめんなさい。俺、これから友達と用あるんで」
「でも、さっきから一人だよね?」
 図星すぎて、変な声が出そうになる。あれも、これも暗木が来ないせいだ。
「……もう少ししたら、来ると思うんで」
「だ、ダメだよっ。お姉ちゃん、ほら、行くよ!」
 妹さんがお姉さんの手を引っ張って去ろうとする。お姉さんは少し、抵抗していたが、やがて、諦めたのか、ずるずると引き連れられて行く。
「な、なんなんだったんだ……」
 嵐が去って行った船員の気持ちに、近いものが俺にあった。
「残念ですね。楽しみが減っちゃって」
「バカ言え、こっちは困ってたんだぞ。遅いし、今まで何してたんだよ」
「蟻の採集です」
「また……。そんな嘘ばっかり」
 いつの間にか隣に居た、暗木の方に視線を移すと、
「って、お前ジャージかよっ!」
 さっきの姉妹と比べてしまうと、凄く、それはもの凄く地味だった。
 しかし、それでも、なぜだが、暗木らしいとも思えて、笑みが少し顔に出る。
「えへん、最強防具」
 防具でも無ければ、防寒具でも無い、それを誇るかのように胸を張る。
 地味な黒のジャージに身を包んだ暗木は、いつも通りの髪形に、口調に、テンションであり、うっかりしなくても、今日がデートということを忘れてしまいそうになる。
「防御力低そうだな」
「低そうではなく、低いんです!」
 じゃ、なんで着てるんですか? バカなんですか? と言いたくなるが、胸の中に閉じ込めておく。これ以上は不毛すぎるし、何より、視線が痛い。
「あの暗木さん、寒いし、何より、あなたの格好のせいでみんなから見られて辛いんですよ、ぶっちゃけ。だから、どっか行きません?」
「おや、朱雀さんは、モブの視線を気にするんですか?」
「モブって……。俺はするよ、ばりばり、するよ。むしろ、それだけを気にして生きてる!」
「でしょうねぇ。じゃなきゃ、あんなラノベ書きませんもんね」
 くすっ、と暗木が含みを持たせた笑い方をした。あれを憶えられてる限り、俺に主導権はやってこない。否、戻ってこない。
「……ほら、行くぞ」
「え、どこに行くんですか?」
 暗木は、目をパチクリとさせる。……それも、そうだ。何も言ってないのだから。
 いつまでも、立ち止まっているので、手を引いて人で埋まる駅の道を手探りで歩いて行く。
 冬になろうした季節の道はひどく冷たくて、人肌恋しくて、それでいて、どこか切なさを感じさせる、そんな道だった。
「ち、ちょっと……」
 か細い声で訴える。その声は街のどこにでもあるような自然音より、小さく、今にも消えてしまいそうだ。それでも、俺の耳にはしっかり届いた。
「……手。手繫いじゃってます……」
 それを聞いて、今一度、自分の手を見直す、ばっちり、しっかりと握りしめていた。
 それを認識した途端に、一気に顔に血が集まり、熱くなる。
「あ、ご、ごめん。ごめん」
「……べ、別にいいですけど」
 なんとなく、気まずくなる。……動いていた足もとまっていて、今すぐには動きそうにもない。
 それでも、無理矢理動かそうと、暗木より一歩前に動く。
「……もうすぐだから……さ」
「は、はい」
 何がもうすぐなのか、は何も問われなかった。もしかしたら、普段あんな暗木でも、天満の事が好きな暗木でも、少しは俺のことも意識してくれているのかもしれない。
 そう思うと、逆に俺の方が意識してしまう。
 そんな邪念を振ろうと、頭を必死に振るう。
「あ、ここだよ」
 時間にして十分足らず。駅前のおしゃれな喫茶店である。
 テラス席もあり、天気がいい時はここでゆっくりと読書でもしながら、くつろげるのだ。
 だが、今は少し寒い。だから、残念だが、テラス席はやめておこう。
 ガラス張りのドアを開けると、キッチン、レジから一斉に「いらっしゃいませ」と声をかけられる。
 それに、返事はせずとも、会釈だけして、まずはテーブル席に座る。暖かくて、心地がいい。
 暗木もどこか、暖かくてホッとしているようで、俺と対面式に座る。
「お洒落なお店ですね」
 暗木がメニューに目を落としながら言う。
「まぁ、そうだな。俺は好きでたまーに来るんだ」
「それは、女の子と一緒に?」
 その言い方に疑問を感じた。なぜ、女の子限定なのだろうか。
 ただの雑談だとは思うが。
「いや、来たことないな。……天満とはたまに来るけどね」
「え、本当ですか? 天満さん、何食べるんですか? 何飲むんですか? 教えてください、教えてくださいよ。ねぇ、ねぇ、ったら、ねぇ!」
「いきなりテンション高くなってきたな」
 なんて、現金な奴だなと苦笑し、天満が注文していたメニューを教えると、感嘆の声をあげ、メニューにさらに没頭していた。
 やがて、決まったのか、俺の顔を見て「メニューいる?」と聞いてくれたが、メニューは憶えているので丁重にお断りした。
 店員をテーブルのベルで呼ぶと、
「いらっしゃいま――。咲夜くん?!」
 急に名前を呼ばれるてビックリして振り返ると、そこには、
「あなたはさっき駅前であった……」
 妹さんであった。お姉さんではなく、妹さんがそこには立って、可愛らしいエプロンドレスに身を包んでいた。
「え、えと。二組の……佐藤燐火だよ」
「二組って……、隣の?」
「う、うん。そう……だよ」
 と、言っても正直知らない子だった。名前も分からなければ、何もかも分からない。
 それでも、この子は俺のことを知ってくれていた。だから、申し訳ないと純粋に思う。
「ごめん。……どこかで会ったっけ?」
 もしくは、それ以外の何らかの何かで知られているのか。
 顔や存在だけはよく知られているから、多分、そっちだと思うが。
「え……」
 一瞬悲しそうな表情を見せた後、佐藤は、そんなことなかったかのように笑顔を見せる。
 ……まるで、何かを上書きするかのように。
「初めてだよ! ほら、咲夜くん有名人だし!」
「そ、そうか」
 暗木は、はやく注文したかったのか、少し、ムッとして「朱雀さん、はやくしてください」と言う。
「あ……、デート中だったんの、ごめんね」
 暗木の存在に気がつき、佐藤は勘違いしする。
「これは違っ――! デートなんかじゃ……」
 暗木にも弁明を求めると、
「はい、これはデートじゃありません。……予行練習みたいなものです」
「予行練習?!」
 佐藤さんは驚いたのか、少し声を張り上げる。
 他のお客さんがチラチラとこっちのテーブルを侮蔑な目で見てきた。
「ご、ごめん。でも、予行練習って……。つ、付き合うつもり…?」
 片手で、口を抑えて、佐藤さんは他の人に聞こえないように言う。
「ち、ちがうよ! まぁ、なんというか、ちょっと複雑なんだ」
 佐藤さんは腑に落ちないようだ。
「……そろそろ注文いいですか」
 不愛想に、淡泊に暗木が佐藤さんに言った。
 それに対し、佐藤さんは「ごめん! 今すぐとるね」とオーダー張にペンを取り出す。俺も、暗木もとりあえず、注文を言って、佐藤さんはそれを一つずつ復唱して、確認する。
 ちなみに、俺はアイスコーヒーで暗木は天満がいつも頼んでいるラムサイダーにした。
「で、では、ごゆっくりね」
 ペコリと頭を下げ、お通しの水を置いて、去ろうと背中を見せる佐藤さん。
「佐藤さん!」
 そんな佐藤さんに、一つ声をかける。
 すると、彼女は微笑みながら振り向く。それに同調してエプロンドレスも宙を舞う。
「頑張って」
 まだ誤解をしているかもしれない。
 だから、俺は誤解を解く言葉を言うべきか、悩んだが。
 しかし、彼女の少し切なげな背中を見て、一瞬でそんなことはどこかに消え、応援の一言を贈った。
「うん!」
 佐藤さんはそれを聞くと、元気に返事をし、またお客さんに、じとっとした視線の釘付けになる。
 それでも、嬉しそうに裏に戻って行く佐藤さんを見れて、良かった。
「随分とお優しいんですね」
 暗木が目を細めて、頬杖をついて言う。その目はどこを見ているのか、俺には分からない。
「優しくするのが仲良くなる基本だからな」
「なら、私にも優しくお願いしますよ」
「これ以上ないくらい優しいつもりなんだが」
「優しさに限界なんてありませんよ、ですからお願いします」
「容量と用途にはお気を付けください。間違えてしまったら爆発するかもしれませーん」
 暗木は「はぁ」と薄い溜息をつく。目線をどこからか、俺の方にへと戻す。
「なんで、そんなに人に……あの子に優しくするんですか」
「なんでって……。その方が相手にも、自分にだっていいだろ?」
「そうですかね。有象無象のモブ百人より主要キャラ一人に優しくした方が良くないですか?」
「モブってなぁ……。……はやい話、俺のためなんだよ。偽善なんだよ。良く思われたいだけなんだよ」
 手元をイジりながら、そう言う。
 誰かに思われたい、ただその一心で気を使い、優しくする。……少なくとも、そうすれば少なからずとも誰も自分のことを責めないのだ。……精神面では。
「みんなに良く思われて、何になるのですか? そんなのより――」
「そんなのじゃね!」
 自分でも思った以上の声量が口から出て、驚いた。
 何より、驚いた人物は俺たちのテーブルを見る人たちより、俺より暗木だろう。
「ごめん。忘れてくれ」
 俺自身、忘れたい、消したい、そんな記憶だった。過去だった。
 だから、暗木にはなんで、俺がここまで様子を変えたのか、分からないだろう。
「私こそ、すいません」
 暗木は思うところがあったのか、頭を軽く下げる。ここまで素直なのは初めてじゃないのか。
 頭を上げると、続けて、
「でも、私は私の考えで誰かの平等な優しさより、特別な人からの過剰なまでの優しさの方がいいと思っています」
 まったく俺とは違う。
 俺は誰からも良く思われたい反面、暗木は誰よりも強い想いを欲している。
 それはクラスでよく目にする光景と似ていた。
 クラスの中心に居た俺に、端っこにいる暗木。
 片方はみんなの人望を、片方は自分を誰よりも想ってくれる人を求めていた。
 クラスカーストのように真逆な俺たちは、互いに理解できない。だからこそ、衝突をしてしまう。
「いいんじゃねーか。俺が誰よりも臆病で逃げで、弱者だからそう思うだけ」
 暗木は俺から見たら、強いのだ。
 たった一人で、陰口を言われ、それにより誰も友達になろうしない。
 その結果が一人なのだ。
 それでも平然と普通に、当たり前のように過ごせる。それは明らかに強さだった。
「……朱雀さんは弱者じゃなんか、ないですよ」
 水が入ったグラスを転がす。中からグラスがぶつかった、愉快な音が鳴る。
「そうか」
 それから、俺たちは黙り込んだ。
 佐藤さんが運んでくれた飲み物を飲み干すまで黙り込んだ。
 お互い言葉が見つからなくて、下手なことを言えば、触れてほしくない部分に触れられ、触れそうで黙った。
「朱雀さん……」
 そして、暗木が沈黙を破る。
 決して、大きな声ではなく、しかし、届かない程小さいわけではない問いかけは俺の頭を再度考えさせる。
「どうした」
「これから……どうしましょうか」
 時間は思ったより経っていない。
「そうだな。じゃ、デートの練習するか。天満攻略のためにも」
「……! いいんですか……?」
 恐る恐る暗木は聞いて来た。
 それに、平然と俺は答える。
「元々それが目的だろ? なら、行こうぜ」
「……怒ってないんですか?」
「怒るって何に?」
「えっと、私、余計なこと言いましたよね?」
 それに思わず吹き出してしまう。
 だって、暗木がそんなこと言うのなんて意外だったから。
「な、なんで笑うのですか! これでも心配――じゃないですけど、なんていうか」
 ハッキリしない暗木は、せわしなくグラスを触る。まるで、何かをごまかすように。
「ごめん、ごめん。俺は大丈夫だ。……だから、行こう」
 暗木はプイッと視線を俺から外し、しかし、l俺に向かって口を動かす。
「朱雀さんが、そこまで言うなら――行きましょうか」
 そう言って立ち上がり、俺たちは店を後にした。
 佐藤さんに最後「美味しかった」と伝えたら「またのご来店を!」と言われ、いいお客様だなと自分でも笑えた。
「それで……アテは何かあるんですか? 自信満々ですけど」
「ふふっ、俺を舐めるなよ。まずはだな、あそこだ!」
 そう言って、暗木は俺が指を指した方角に顔を向ける。
 そして、その後すぐに、ギギギィ……と音が出そなロボットを彷彿とさせる振り向き方をし、再度、俺の顔を見た。
「あそこって、まさか……オタメイトのこと?」
「あぁ、そうだ。全国のオタクご用達のオタクの宝物庫のオタメイトでだ」
「え? なんで? 私、デートって言いましたよね? 死ぬの? 死んじゃう?」
 暗木がドス黒いオーラを纏っていくような気がする。
「ま、待て! 話を聞け」
 コホン、と咳き込むと、暗木の動きは止まった。どうやら話すくらいの猶予はくれるらしい。
「いいか? そもそもが、何か勘違いしていないか? お前は天満とどういう風に付き合いたいわけ?」
「え、そりゃ、二人で公園行ったり、クレープ食べたり……とか?」
「甘い! 甘すぎる! クレープにプリン、ヨーグルト、イチゴ、生クリーム、宇治金時入れても有り余る甘さ!」
 指を突き出し、そして、高らかにその考えを否定した。
「えぇ、確かに甘い――いわゆるラブラブカップルになりたいけど」
「ちがぁ――――――うっ! そういうことじゃなくて、その意識の甘さだ!」
 暗木は、俺に押され困惑していた。しかし、それほどに暗木は甘いと俺は感じている。
「お前は、もしかしてだが、自分がオタクということに触れないまま、話さないまま、天満と付き合おうとでも思ってんじゃないのか?」
「……確かに、そうですね。そう思ってます」
「それじゃ、ダメだ。何にも解決しない。むしろ、そんなんじゃ確実に付き合えない」
「そ、それはどうして……?」
 ゴクリ、と何かを飲み込み暗木は尋ねる。
「自分を偽ってるからだよ。そんなじゃ、あいつは落ちないし、そもそもが天満にふさわしくない」
「……っ! そうですね、確かに。その通りですね」
 何か、痛い点を突かれたのか暗木は軽いカルチャーショックを受けていた。
「それでも、あいつはお前が知ってる通り、オタクでも引かないし、むしろ、好きになってくれるかもしれない」
 だから……、と言葉を続ける。
「信じてやってくれよ、あいつを」
 そして、俺を。と言う言葉は言おうとしても、出て来てくれなかった。
「仕方ないですね、天満さんを信じましょう。そして、朱雀さんのことも」
 ふっ、と鼻で笑い、俺は一人先に歩き出した。それに付いてくる形で、暗木も歩き出す。
 少し歩くと、オタメイト近くになり、近くになればなるほど見えてくる人相も変わってきた。
 懐かしさに思わず、頬が緩くなる。
 一度は捨てた場所、そして、もう戻らないと誓った場所なのに、どうしてこんなにも居心地がいいのだろう。
 まるで、欠けてたピースがやっと器に当てはまったかのような安心さがあった。
「それでどこに行くのですか?」
「暗木、お前が案内をしてくれ。俺を天満と思って」
「なんでですか、普通デートって男が女をリードするんじゃないんですか?」
「お前はスイーツか! と、それはいい。お前の場合は逆にしろ。今まで、他の奴と同じようなことして天満と付き合えると思わないでおけ。ただでさえ、容姿で差がついてるんだから。……悪い方向に」
 暗木が「ぐっ……!」と何かを我慢する。少し言い過ぎたかな、と思うが、すぐにその考えは捨てた。
 ここで、俺がテキトーに暗木と天満をくっつけようとしたら、暗木にはもちろん、天満にも失礼な気がしたから。だから、本気で二人には付き合ってもらいたい。
「……なんだか、この間とは別人な気がします」
「オタクっていうのはこういう時は本気出すのさ。……元だけど」
 二人で顔を合わせ、どっ、と笑いだす。
「それじゃ、行きましょうか」
 そう言って暗木は迷わず二階へ行くエスカレートへ乗る。エスカレーターの道中には店員が書いたであろう可愛らしいチラシがあり、雰囲気を明るくしていた。
 二階へ着くと、そこは本棚ばかりで中には本がぎっしりと詰まっており、大きさは文庫本程で、いわゆるラノベである。
「へぇー。懐かしいな。そういえば新刊とかまったく触れられてないし」
 無論、やめたからだ。悔いなんて何一つないが、それでも思うところはある。
「あ、それ。最新刊すっごく熱いですよ。主人公がですね――」
「ネタバレやめろよ」
「え、だって、どうせ読まないですよね? 気になりません?」
 いや、確かに気になる。
 確か、俺が憶えてるのは主人公とライバルが戦って、ヒロインに自分の気持ちを伝えようとしたあの場面。
 ギリギリの戦いに手に汗を握り、ヒロインを想う気持ちに胸を打たれたりと、展開が気になる作品だ。
「い、いい! 買うから」
 他人に教えてもらうくらいなら、と出た行動だ。それでも、オタクを辞めてから初めて買うラノベである。
「……それがいいです。やっぱり、自分の好きな物は読んでほしいですから」
「お前、最初からそのつもりで――」
「さぁさぁ、さっさと買ってきてください!」
 その一冊を持った俺を、レジまで押しやる。
 なんだか釈然としないまま、レジでお金を支払い、本を受け取った。……なんだか、乗せられた気分だ。
「朱雀さん、次はこっちですよ!」
 暗木は俺がレジで支払いをしている間に、店の奥の方に居た。
 確か、あそこには三階に行く階段があったはずだ。ここから先はエスカレーターではなく階段で昇り降りを行う。
 溜息を一つ零し、いそいそと向かう。
「上、行きましょ」と言われ、階段を昇り始めた。階段を昇ると、まずは可愛らしい等身大のキャラが出迎えてくれる。
「ここって……確かエロゲ売り場だよな……?」
 自信なさそうに暗木に問いかける。
 俺がここに来ていた時も三階には来たことがなかった。十八禁であるし、何より恥ずかしいからだ。
 現に、今の俺も俯きがちになっている。
「そうですよ?」
 真顔で当然のようにそう言われる、一応、俺たちは未成年なんだけど。
「だ、だよな。あはは」
 そして、不慣れな場所で優位権をとられた俺はただ笑った。
「もしかして、初めてですか?」
 心臓が跳ねた。それを見透かされないように、聞き返す。
「え、なんで?」
「なんか、挙動不審でしたから」
「そ、そう? 久しぶりだからかな」
 変に純情ぶっていると思われると、後々イジられるから、ここはなるべく隠したい。
「そうですか」
 暗木はもう興味なさそうに平積みされていた新作と書かれたゲームを手にしていた。
 俺はそれに、ホッとし、胸を撫で下ろす。
「あ、朱雀さん。これエロくないですか?この構図なんかもうエロエロで――」
「きゃっ!」
 急に女の子があんなことやこんなことをしている物を見せられて甲高い声を出してしまった。
 暗木はそれを聞くと、一歩、二歩と後ずさる。
「朱雀さんのキャラでそれはないすわー。……ないわー」
「バ、ち、ちげぇよ! これは、なんつーか、その……」
 暗木は溜息をつくと、
「朱雀さん純情キャラだったんですね」
「今の年頃はそういうのに敏感なんだよ。難しい年頃なの!」
「さいですか」
 手にしたパッケージを元の場所に戻し、呟く。
 そして、来た方へと踵を返す。
「あれ、もういいのか?」
「はい。さすがにここには天満さんを連れてくるつもりもないので」
 じゃ、なんで俺を連れて来たんだよ、と言いそうになる。
「朱雀さんとなら、なんとなくオタトークできたかなって」
「…………」
 寂しそうに笑う暗木。
 そして、パッケージを手に取る。内容は普通の学園ものだった。
 今度やってみようかなって少しだけ思った。
「朱雀さん、行きますよー?」
「あ、あぁ。今行く」

 その日はそこからファミレスで反省会。
 夕飯時よりは少しはやいので、人はそこまで居なかった。
 親子連れに、ファミレスで仕事をしている人間に、学生。多種多様な人種が多種多様なことに耽っていた。
 テーブルに通された俺たちはドリンクバーとデザートだけ頼むと、反省会に入る。
「って言っても、俺経験ないしなぁ……」
 そう、俺には絶対的な経験値が足りなかった。
 練習相手にはなれるけど、アドバイスをもあげるとなると話は変わってくる。
 アドバイスをあげるとなると、多少こそ慣れていなきゃいけない。最低でも、経験はあるというレベルまで引き上げなくてはいけないのだが、俺にはその経験さえ有無で言えば無なのだ。
 告白される機会こそあれど、誰もデートには誘ってくれなかった。普通逆だろ、と今になって思う。
「私のイケないところを指摘してくれれば、それでいいですよ」
 と、注文したモンブランを一口食べながら、そう言う。
「そうだな。まずは服装だな」
「……あ、これ美味しい!」
 甘美な声をだし、工場で大量生産されたモンブランを褒める。
「話の逸らし方! まぁ、いい。なんで、今日ジャージで来たんだよ。そっからだ」
 やはり、ファミレスでも暗木のジャージ姿はある意味目立つようでさっきから、学生を中心に見られている。
「……しかないから」
 俯き気味にボソボソと何かを話す暗木。しかし、よく聞き取れない。
「これしか持ってないんです――!」
「あがっ!?」
 飲んでいたコーラが気管に入り、むせてしまう。涙で視界が滲む。それを拭うと、ようやく顔を茹でタコのように紅くした暗木を見れた。
「まじ?」
「マジですけど……」
 思わず机に突っ伏す。
 ここまでヒドいとは一切思わなかった。どうしたものか、と思ったら、
「……やっぱり変ですよね。一応、性別は女なのに」
 それを聞いて、確かに普通ではないと思う。普通の子はアニメより服、ラノベより靴。そういうものだ。
 でも、そうじゃない子だって居る。きっと、俺に告白してくれた子の中にだって居たはずだ。
「変わってるとは思う」
「はぁ……。ダメですねー。私」
 解決策はあるにはある。過去の俺同様「捨てれば」いいのだ。
 全部を無かったことに、捨ててしまえば、明日からは身軽である。長年装備していた鎧を売却したかのように、もう戦争が来ないからと剣を売った英雄のように。
 無かったことにすれば、暗木は明日からだって変われるだろう。アドバイスするなら、そっちの意見を言うべきだろう。
「オタク辞めればまだマシになるんでしょうけど、できないんですよね。絶対」
「なんで?」
「服に靴、恋愛に友情。どれも架空の世界の話でしか知りませんけど、きっと素晴らしいんですよね」
 でも、と暗木は姿勢を正して続ける。
「そのどれをも”少し”我慢して後悔しないくらいオタクって好きなんです」
 そうだ、コイツはオタクでなきゃダメなんだ。そんな大事なアイデンティティを潰して、暗木は幸せになんかなれない。
 俺が、ふっ、と笑っていると、
「あ、今馬鹿にしました?」
「するわけねーだろ。ま、とりあえず、服は何とかしないとイケないな」
「うーん、何とかやってみます」
 何か心当たりがあるのか、暗木は素直に首を縦に振った。
「……あとは、過剰までのオタクアピールなのはやめたほうがいいな」
 じぃー、っと睨みつけるような目線を感じ、諭すように口を動かす。
「確かに、オタクは隠さない方がいい。けど、過剰なまでの見せつけまではしなくていい。自然に、ナチュラルに……だ」
 自分でもハードル高いな、と思い苦笑する。
 それでも、暗木はやる気なのか、真剣に頷いていた。
「なるほど。他はありますか?」
「他はー……。あとは、楽しめってことくらいかな」
「? どういうことですか?」
 言葉の意味が良く分からなったのか、暗木は首を傾げていた。
「そのまんまだよ。存分に楽しんで欲しいってことだ」
「? よく分かりませんが、楽しみます!」
 そう言う暗木の顔はクラスで見ていた表情とは違い、晴れ晴れと、していてとても嬉しそうだった。
 そして、俺は気づいたことを口にする。
「――で、どうやってデートなんて取り繕うんだ?」
 暗木はすぐに表情を難しくさせ、腕組をし始める。
「それは朱雀さんが……」
「俺は手伝えないぞ」
 それを聞くと暗木は焦ったような口調になった。
「な、な、なんででしゅか! 協力してくれるって!」
「俺ができるのは裏から協力してあげるくらいだ。クラスでお前には話しかけられないからな」
「むむむ……! なら、それとなく、私と朱雀さんと天満さんで出かけるって話を天満さんにするっていうのはどうですか?」
「だーかーら! 俺が暗木と知り合い――接点があるって思われない方法以外とる気はないから、必然的にお前が直接話すしかないだろ」
 暗木は一瞬シュンとし、注文していたオレンジジュースを少し飲むと、顔を伏せる。
 暗木の気持ちは俺には何となくだが、分かる。好きな人に話しかけるのはただでさえ、緊張する。
 それに加えて、暗木はクラスカースト底辺だし、反対に天満はクラスカースト上位であるから猶更、緊張もするし、周りの目だってあるはずだ。
「そう……ですよね。自分で何とかしないとですよね」
 寂しそうな表情をし、声音を暗くさせる。
「……妙に素直だな」
「なんですか、それ。私だって、朱雀さんには感謝しているのですよ。」
 だから、と言葉を続ける。伏せていた顔を再び上げる。
「少しは私も変わらないと思って」
「……そっか」
 暗木は俺と出会った短い期間で、少しだけど、確かに成長していた。
 いつまでも変わらずにここまで来た俺とは違っている。
 その思いを胸の中に閉じ込めるように、ジュースを一気に飲み干す。
 炭酸が口の中で弾け、胃に冷たいのが染み渡る。
「俺飲み物入れてくるわ」
 どうぞ、と暗木は言い、俺は席を立つ。
 店の喧騒がする中、ドリンクバーへと行くと、不意に自分の名前が呼ばれた。
「咲夜?」
 振り向き確認すると、そこには、
「天満!?」
「やっぱり咲夜だ。ここで何してんだ?」
 天満をドリンクバーで入れたであろう緑色のコップを持っていた。
「俺はー……」
 言葉に詰まる。何て説明をしたらいいのだろう。
 暗木という単語を出すなんて言葉はできないし。あぁ! 言葉に表せない!
「ち、ちょっとな。天満こそ、こんなとこで何してんだ?」
「俺? 俺はあっちで羽田とかと飯食ってるけど」
「羽田って、また珍しいな」
 あいつと天満がってことではなく、あいつが誰かに遊びに誘われることが。
「お前も顔出すか?」
 手で後ろの席辺りを指差す。
 俺と暗木の席とは反対に位置していた。
「いや、俺は遠慮しとくよ。なんか、悪いし」
「そうか? お前の顔見たらみんな喜ぶぞ」
「どうだろうな」
 ドリンクバーにカップを置き、ボタンを押すと並々にジュースが注がれる。
 カップを取り、天満の方に向き合うと、
「そっか。分かった。じゃ、みんなには会ったことだけ伝えるよ」
「そうしてくれると助かる」
 それから、二人して「じゃ、学校で」と言い別れた。
 暗木が居る席に着くなり、俺はすぐにカップに入っていたジュースを飲み干す。
 先ほどと同じ炭酸飲料なのだが、さっきとは違い口の中がまるで爆発をしているかのような衝撃があった。
 時間置いた飲み物とすぐに飲んだ飲み物でこんなにも差があるのか。
「え、え!? 急にどうしたんですか?」
 暗木は俺の空になったカップを見て、さっきまでしていた携帯ゲームを止め、驚きの声を漏らす。
 喋ろうとするが、舌がそれに追いつかない。しかし、伝えなければいけない。
「天満……たちが居た」
「えぇ?!」
 暗木は急におろおろし始め、自身を落ち着かせようとしたのかジュースの入ったカップを飲む。
「ごほっごほっ」
 そして、当然のように咽ていた。
「ここから離れるぞ」
 そう言って、暗木の腕を掴み、無理矢理立たせる。
 暗木は特に抵抗もせずに、俺のしたいままに着いてきた。
 しかし、ファミレスを出て、その腕は強引に離されてしまう。
「……私と居るの見られたくないから出てきたわけですよね?」
「そうだ」
 短く簡潔に答える。暗木はその答えに満足したのか、「じゃ」と続ける。
「駅まで一緒に行きましょうか」
 そう言って歩き出す。
「……何も思わないのか?」
「何がです?」
「その……普通はそういう風に差別されるの嫌だろ。なのに、さっきから何で……だよ」
「そんなの今更じゃないですか。それに……朱雀さんが普通なんですよ」
「普通?」
「触らぬ神に祟りなし。って言うじゃないですか」
 暗木はすぐに「神は神でも私は疫病神ですかね」と笑って見せた。
 思わず、それに拳を握ってしまう。自分の不甲斐なさに、そして、暗木の強さに。
「ごめん」
 弱くて、力になれなくて、そして、こんな俺で、と心の中で唱える。
「ぜーんぜん? 何を勘違いしてるのか分かりませんけど、私は前まで、それこそ朱雀さんと接点ができるまでずっと一人だったんですよ? それを今更……って感じです」
「あぁ。そうだな」
 ――本当に強いよ、お前は。
「あ、もう駅ですね」
 ファミレスはそんなに遠い場所ではなかったので、すぐに駅に着いてしまった。
 少し名残惜しさを感じつつ、暗木を見送る。
「じゃ、朱雀さん。私はこっちなので」
「俺はこっちだから」
 俺と暗木は二人別々の道を歩く。風が少し吹く肌寒い時間だった。
 その風に負けない声が確かに耳まで届いた。
「朱雀さーん!」
 恥ずかしげもなく、彼女はそう言った。
 そして、風で髪が持っていかれ、メガネが外れ――
「可愛い……」
 無駄に長かった髪は艶やかに、そして、ダサいメガネも無くなればくっきりとした目元が、それは紛れもなく可愛かった。
「私ー! 天満さんに頑張って話しかけますからー!」
 その現実味ありまくりな言葉に、ハッとする。俺が相手にしているのがあの暗木だ。
 ダサくて、メガネをかけていて、オタクでいて、うるさくて、無茶苦茶な奴。
 それなのに、なんで、こんなにもあの姿を見て、胸が高鳴ったんだ……?
 暗木はそれだけ言うと、満足したのか小走りで行ってしまう。俺はしばらく居ないはず道を眺め、それが無駄と気づいた十分後に電車に乗った。

*

「あー、やっぱり無理ですよー……」
 俺たちが模擬デートをしてから数日が経ち、今は放課後の天満攻略対策本部だ。
 あれから、というか、あの時だけがおかしかったのかいつものダサい暗木に戻っていた。
「普通に話しかけるだけだろうに」
 椅子に座り、携帯をカチカチとイジる。
 今流行りのソーシャルゲームをやっていた。これは、普通のクラスメイトもやっているので、やっていてもオタク認定されることはない。
「じゃ、朱雀さん。私に話しかけて下さいよー。むしろ、朱雀さんがセッティングしてくださいよ」
「……お、これはレアアイテムだな。よしよしっと」
「その話の逸らし方、私のなんですけど?!」
 携帯を机に置き、教卓横に立っている暗木を見て答える。
「俺とお前は話さない。なぜなら、俺が変に疑わられるし、そうなりたくもない。……そうなりたくないから、協力だってしてる」
 全ては過去、俺が執筆したラノベのせいでもある。あれさえ、無ければ今こうしてることもないだろう。
「だったら、このことバラしますよー」
 ちらちらっとスマホを見せびらかす。
 それに対し、「はぁ」と溜息をつく。
「う、嘘ですよ。本気にしないで下さいよ……。朱雀さんには実際、お世話になってるからしませんって」
 いつか、はしそうで怖いのが正直な話だ。
「分かってるって。それじゃ、今から始めるか」
 椅子から立ち上がり、教卓後ろにある黒板に近づく。黒板に近づくと、暗木から、ひょい、っとチョークをとる。
 暗木は「あっ」という短い音を発し、その後は俺が書く文字に視線を動かすだけだった。
「反……省会……ですか」
 この数日間、暗木は天満に話しかけようといくつかのアクションをやっていて、そのどれもが失敗した。
 故に、反省会は必要だ。
「そう。反省会。何事も失敗から学ぶべき」
「んー、ありますかね……」
 腕組をして、考える暗木。しかし、俺からしたら考えるまでもなく、ある。
「俺だったら一日中天満と居るわけではないが、それでもだいたいは天満と居たはずだ。だから、お前が何をして話そうしていたか、くらいは分かる」
 暗木はさっきまで教卓横に居たのだが、今はさっきまで俺が座っていた席に座っていた。ここから先は俺のターンである。
「まず一つ。登校時の下駄箱に不幸の手紙入れるのやめろ」
 そう言った俺に対して暗木は思うことあったのか、反論する。
「何てこと言うんですか! 乙女の純真なラブレターを……! この鬼畜!」
「乙女の純真ねぇ? ラブレターねぇ? そんなこと言う人は黒い紙に血塗りで文字書かないよなぁ? うん?」
「いや、えっと、その……」と暗木は言い淀むが、無理矢理続けようと喋る。
「創意工夫です! あれは創意工夫なんですよ」
「そんな工夫はいらんから、書くなら普通に書け! 天満、真っ青だったぞ」
 コホン、と咳ばらいをし次の反省に進める。
「次はーっと、あぁ、これか」
 暗木が何かを覚悟しているのか、真剣な眼差しの中、俺は言う。
「昼休みの時、能面を被って天満に会ったのお前だろ」
 それを聞くと、暗木は下手くそな口笛を披露し始めた。
「ぴゅーぴゅー」
 目は俺を見ていない。
「あれ、お前だろ」
「シラナイデスヨ? ワタシ、シラナイデスヨ?」
「天満、話したがってたな~、能面と」
「はい! 私です! あの能面、間違いなく私です!」
 俺は哀れなオタクにチョップをいれる。
「あいたっ!」
 頭を擦りながら、そう言ってくる。長い前髪からは涙目が少しだけ見えた。
「ったく、ああいうことやめろよな。天満震えてたし洒落になってないぞ」
「うぅ~~! 痛いです! ひどいです! 騙さないでください!」
「なら、お前も嘘つくのやめろよな……」
 次、行くぞ――と言いかけた時だった。不意に扉が開かれたのは。
 普段、使われない部活棟に、普段使われない教室。それは幾重の偶然でも決して辿り着けないはずなのに。
「……えと、すいません」
 そこに居たのは俺ご用達の喫茶店のウェイトレスさんである――佐藤燐火であった。
「どどどどどど、ど、どうして、佐藤さんが……?」
 震える指先を佐藤さんに向ける。佐藤さんは屈託ない笑顔を浮かべ、
「はいっ! 咲夜さんに会いにです!」
 俺と暗木は思わず顔を見合わせる。そして、
「「え?」」
 お互いの声が重なった。
「放課後、こっそり咲夜くんの後つけてたら、ここに入ってたから何してるのかな~? って」
 俺はどうしようかと、頭に考えを巡らせる。そして、口を開く。
「とりあえず、佐藤さん、ここで見た事とかは秘密にしてくれないか?」
「分かんないけど、いいよ!」
 分かんないことに、すぐ了承してくれるのか。人がいいだけに将来心配だ。
「それで、肝心の何でここに来たのか聞いてないですけど、いいんですか?」
 暗木が椅子の背もたれに体を預けながらそう言う。どう見ても態度が悪い。
「朱雀さんが好きだからですよ」
「…………」
 何とも言えない空気が場を支配する。
 誰も何も喋らない、いや、喋れないが正確だ。それほどまでにこの空気は重い。
 その中で唯一ニコニコとしているのが佐藤さんである。彼女が爆弾を投げたのに、その彼女だけは平気みたい。
「あ、ありがとう……?」
「いえいえ」
 俺は素直に感謝する。佐藤さんもそれに応えようと、ペコリと頭を下げる。それを見て、俺も頭を下げた。
「いやいや、待ってください。佐藤さん、それでいいんですか?」
 暗木がちょっと待ってくださいよ、と問いかける。それに続けて、佐藤さんも口を開いた。
「どうしたの? あと、燐火でいいよ。楓子」
「…………」
 暗木はポカーンとアホみたいに口を開く。
「おい。暗木? おーい、暗木さん?」
 俺は暗木の顔の前で手をひらひらとさせるが、暗木に反応は無い。
「……ハッ!」と短い声を漏らし、暗木は数秒後に反応した。
「そういえば……、私の名前楓子でした」
「なんで、お前が忘れてるんだよ」
「いえ、名前なんてあってないようなものだと、思ってたので」
「いやいや、有効活用しようぜ、そこはさぁ!」
 それを近くで聞いていた佐藤さんは小さい声でクスクスっと笑っていた。無邪気なその笑顔は癒されそう。
「あ、ごめんね。みんな面白いからつい……ね」
 手を縦に立てて謝り、舌をチロッと出す。小悪魔的な仕草であった。
「そ、それで、りりりりり、燐火……さんは朱雀さんのことが好きなんですよね?」
 名前で呼ぶんだ。呼んじゃうんだ。
「うん。そうだよ」
 さも当然のようにそう言う。
「じゃ、その……朱雀さんと」
 チラチラっと俺を伺い見る暗木。どこか、そわそわしている。
「つ、付き合うんですか……?」
「いいえ?」
 佐藤さんははっきりと否定の言葉を発した。
「えぇええ?!」
 思わず、俺が驚く。いや、俺の方にも付き合う気は確かに無いが、一方的に言われ、断られるのは驚く。
 その謎を紐解いていくように佐藤さんは説明をし始める。
「私はとりあえず、咲夜くんに気持ちを知ってほしかったの。それに今、言ったって負けそうだし」
 負ける? 何に? 佐藤さんは答えを言っているはずなのに、謎は深まっていく。
「今は負けても……未来は勝っているかもしれないし。えいっ!」
 佐藤さんは急に俺の左腕を絡みとり、胸に押し付ける。そして、感じる……! この確かな暖かみと弾力! 素晴らしい!
 ふと、こんな子が彼女だったら……と悪魔のささやきに負けそうになるが、頭を振って、その考えを追い出した。
「ちょ、ちょっと待って! 猶更分かんねぇ。告白するのが目的でも無さそうだし本当になんのつもりで?」
「だーかーら、咲夜くんと居たいだけだって」
「いや、だから――」
 いつの間にか、俺と佐藤さんの間に割って入っている暗木に言葉を制止される。
「――なら、燐火……さん、あなたも私の恋に協力してください」
「楓子……の恋……?」
 佐藤さんは首を傾げる。それもそのはずだ。
 だから、俺が事を一から説明する。俺がなぜ、暗木と居るのか。なぜ、先日二人で居たのか。
「――てことなんだけど」
 説明し終わると、佐藤さんは何か考えているのか、顎に手を添えている。
 次第に疑問点が浮き彫りになったのか尋ねる。
「それで、咲夜くんはボランティアで協力してあげてるわけ?」
「ぐぅっ……!」
 何から何まで正しい事を教えるわけにはいかないから、俺の黒歴史のとこだけはボカして説明していた。
 なのに、そこを突くなんて、鋭いな。
「ま、ま、そうなるな。うん!」
「そっか。やっぱ、咲夜くんは優しいね」
 俺の右手を両手で包み込むように握ってくる。罪悪感を感じ、心が痛くなった。佐藤さんの笑顔が輝かしいから余計に痛む。
「はいはい、いちゃつきはそこまでにしてくださーい!」
 暗木は少しイラついた様子で、繫いでいた手を引き放させる。佐藤さんは名残惜しそうに手を見つめていた。
「それで? 燐火……さんは手伝ってくれるんですか?」
 未だにその呼び名慣れてないのか、妙にたどたどしい。
「うん、もちろん手伝うよ!」
 屈託のない笑顔でそう告げた。
「え、いいんですか? 私のために?」
 佐藤さんは少し悩みながら答える。
「んー。というよりは自分のためかな?」
 そう言って俺に目線を配る。何か俺にあるのだろうか?
「あ、ありがとうございます。早速なんですけど、今どうやって天満さんにデートに誘うかっていう事考えてたんですよ」
 うん、うんと俺は頷く。なかなか難しい問題であるから、ここは三人――いや、暗木はアテにならないから俺と佐藤さんの二人で考えよう。
「あ、それなら、あたしにいい方法あるよ」
 どうやら、俺もいらなかったようです。

*

 その翌日の朝。
「ごめん、君とは付き合うことができない」
 俺と対面していた少女はまるで、分かっていたかのように頷く。
「知ってました……。でも、言いたかったんです。ありがとう……ござっ……!」
 彼女が頭を下げ、もう一度あげると、涙が込み上げてきたのか顔が歪んでいく。
 罪悪感で押しつぶされそうになる。優しい言葉をかけたくなる。
 けれど、それは許されない。そんなことして期待をさせちゃ、彼女が酷だ。だから、俺はそっと彼女のそばから離れる。
「咲夜も大変だな」
 生徒玄関に入って、すぐ天満と会った。
 天満は相変わらず、その鋭い目で俺の全てを見透かしているようだった。
「いや、俺よりも……。彼女の方がきっと……大変だろ」
 視線は天満を見つめていたはずなのに、見ている――思い出す光景は彼女の、振られた子たちの泣き顔だ。
「……咲夜、お前変わった?」
「え、なんで?」
「いや、なんていうか、前は「俺だって可哀想だろ?」とか言いそうなのに」
「そこまでは言わないだろ、さすがに」
 だな、と天満は薄く笑い、俺の背中を叩く。鈍い痛みが背中を伝わってジンとなる。
「あ、居た居た! 咲夜くんっ! 待って!」
 視界の端から捉えた人物は、佐藤さんだった。大分急いでいたのか、息があがっていて、少しエロい。
「俺はどこにも行かないから、ゆっくりしていいよ」
「うん、ありがとう」そう言って、佐藤さんは両膝に手をつけて、息を整える。
 その様子を眺めていたが、どうやら邪魔と思ったのか天満は「咲夜、教室でな」と言って去ろうと背中を見せる。
「あ、天満くんも待って!」
「え、俺?」
 息を整えた佐藤さんに呼び止められ、天満は止まる。そして、自分のことを指差して呆然とした。
「そ、そうです。お二人に話が……!」
 携帯の時刻を確認し、ある提案を俺はする。
「とりあえず、そんな悠長なことしてる時間でもないし、この場は昼休みでも持ち越さないか?」
「えぇ?! 咲夜くん、そんな殺生な~!」
 佐藤さんは俺の腰に抱き着き、涙で瞳を湿らす。
 俺は佐藤さんの過剰な”演技”を見て、女の子って強か、だと感じた。
「ちょっとよく分かんないけど、昼でいいじゃん、昼で……ね?」
 天満が諭すようにそう言う。
 それを聞いた佐藤さんは項垂れながら「うぅ……。分かったよぉ……」と了承し、去って行った。
「天満、お前昼大丈夫なのか?」
「あぁ。大丈夫。特に何もないし」
 とりあえず、これで佐藤さんの”作戦”は成功したわけだ。
「それにしても、燐火ってああいう感じだったけか」
 天満は苦笑しながら、先ほどの事を思い出していた。俺はそこに違和感を憶えた。
「燐火って……、知り合いなのか?」
「え、あぁ、ちょっとな」
 煮え切らない答えを返す天満にも違和感を憶えたが、それを聞こうにも俺たちはもう教室に着いてしまった。
 天満とは席が離れているため、どうやら聞けそうにもない。そこまで聞くことの程でも無いし、別にいいかと自分に言い聞かす。
 暗木の席は俺の後ろなので、俺は席に着くなり、
「……作戦は成功」
 と、一人呟く。それをしっかりと聞いたのか、暗木は長い前髪の後ろで口が笑っていた。
 それを見てクラスメイトたちが、ざわっと騒いでいたが、俺はそれに関与せず、黙々と朝の準備に取り掛かる。
 
 待ちに待った昼休みになった。
 クラスは授業時に比べて、かなりうるさかった。
 ”打ち合わせ”通り、俺は天満に近づき、
「天満、悪い!」
 手を縦に立てて謝り、下をチロッと出す。完璧だ。佐藤さんの見様見真似だが、イケてるはず!
「お、お、どうした?」
 天満はなぜか困惑する。
「今日、ちょっと遅れそうなんだよ。だから、先にここに行っててくれない?」
「分かった。じゃ、俺は先に行ってくるから」
 席を立ち、俺から紙を受け取った天満は教室から出ていく。それを見送ると、自然と頬が吊り上がった。
 そして、数秒すると佐藤さんが、ひょこっとドアから顔を出す。
「佐藤さん、天満なら行ったよ」
「ふふ、それじゃ、私の作戦通りってことね」
 頷き、肯定すると佐藤さんは俺の手を引っ張り、
「私たちも行こう!」
 引っ張られるまま、俺たちは部活棟まで行く。
 部活棟にやはり、人は居なくて、今居るのなんて俺たちくらいだろう。その中、俺たちは放課後いつも居る天満攻略対策本部へと向かう。
「――俺か?」
 天満攻略対策本部に着くと、すぐ人の声が聞こえた。どれだけ壁が薄いんだ、ここは。
 俺たちは扉付近に座り、耳に神経を集めて、音だけを拾う。
「は、はい。て、天満しゃん――じゃなくて、天満さんと」
 天満の声に続き、暗木の声が聞こえ始めた。事は昨日話した作戦通りになっているみたいだ。
「どうやら、昨日の作戦通りになっているみたいですね」
「あぁ、そうだな」
 作戦は至ってシンプルで、ホームルーム間際に、俺と天満に話しかけ、その場で話すのではなく、別の時間に別の場所――天満攻略対策本部で話そうと提案する。
 そして、そこまで来たら簡単。肝心の俺と佐藤は行かず、天満は待ち構えている暗木と必然的に離すことになる。
「じゃ、行こうか」
 よしっ、と俺たちはガッツポーズをする。暗木、本当によくやったな。
「でも、俺なんかと映画行っていいのか?」
 映画のチケットは佐藤さんが持っていたのをもらっていた。本当佐藤さんってすごいな。
「え、どうして……ですか?」
 暗木の声が一層低くなる。まるで悲しんでいるように。
「いや、やっぱ何でもない。楽しみにしていいかな?」
「は、はい! 私も楽しみです」
 最後には声のトーンが明るくなっていて安心した。
 そんなことを思っていると、佐藤さんに制服を引っ張られる。
「そろそろ行かないとバレちゃうよ」
 耳元で呟かれる。佐藤さんの吐息が伝わってくるからドキドキしてしまう。
「あ、あぁ。そうだな。行こうか」
 そう言うのと同時に、
「ちょっと、俺、咲夜探しに行くね。なんか、来ないし。あと、燐火も」
 天満の声が聞こえ終わると、一人でに開く扉。思わず、俺は佐藤さんの手を引っ張って反対側のドア付近に移動する。
 天満は少し急いでいたのか、左右を一切見ずに扉を出て、俺たちとは真逆の方へと向かっていく。もし、あそこで見つかっていたら、あらぬ誤解――いや、誤解ではないか。にしても、暗木との接触を疑われてしまう。それだけは避けなけばいけない。
 そう思うと、手を強く握ってしまう。
「ひゃ、ひゃあっ!」
 小さい悲鳴にも似た声が聞こえる。隣の佐藤さんが発していたようだ。
「じ、自分から握るのとは違う嬉しさがありますね」
 真っ赤に熟れたような顔をした佐藤さんが、繫いでいる手を見ながらそう呟く。
「ご、ごめん!」
 ハッとして、手を離す。それに佐藤さんは「いえいえ」と笑う。
「……」
 少し気まずくなってそのままの体勢、状態を維持してしまう。
「なーに、イチャついてやがりますか」
 声の方を見上げると、そこには少しイラついている暗木が居た。
「いや、別に? 何も?」
 すぐに姿勢を正し、キチッと立つ。佐藤さんもそれに連れられて立ってくれた。
「ふーん。そうですか、そうですか」
 なぜか高圧的な暗木に対して、しれっと話を逸らすため、聞きたい事を聞く。
「それで、天満とは話できたのか?」
「作戦通りですよ。見事なまでに! まぁ! 朱雀さんと燐火さんのイチャつきは作戦では聞いてなかったですけどね!」
 若干めんどくさい、と思いながらも尋ねる。
「それで、今度映画行けるんだろ?」
「え、えぇ! あの天満さんと映画を見に行きます」
「楓子おめでとう」
 黙っていた佐藤さんが急に、暗木の手を握る。心から称賛しているようだ。
「あ、ありがとう……」
 暗木も真正面から言われて恥ずかしいのか、俯いて返事を返す。
「俺からも言っとく」
 一呼吸の間を置いて、暗木の頭に手を乗せて、
「おめでとう」
 暗木は一瞬嬉しそうな顔をした後、佐藤さんの目があるためか、俺の手を弾く。
 そして、腕組をし始めた。
「ふ、ふん。オタクはこういう時に本気出すんですよ」
 俺と佐藤さんは顔を見合わせて、クスッと笑う。
「な、なんですか?」
「いや? ただ、らしいなーって思っただけ」
「もうっ……! 意味わかんないんで、そういうのやめて下さい!」
 暗木は手足を使って、これでもかというくらい、存在をアピールする。
「楓子、当日はうーんとお洒落しないとだねっ!」
「「あ」」
 暗木と俺の声が同調した。すっかり忘れていた。
「ん、どうしたの?」
「こいつ、あのジャージしか持ってないみたいなんだ」
 暗木を指差して、佐藤さんに教える。暗木は口をポカーンと開いていた。
「え」
 優しい佐藤さんも、さすがにドン引きしていた。
「どうしたものか……」
 その時、ズボンのポッケに震えが走った。ポッケを弄り、出したのは携帯。
 電源をつけると、通知が来ていた。メッセージアプリで天満からメッセージが来ている。
「こっちも忘れてた」
 もう少し、この問題は続きそうである。

 その日の放課後。
 俺、暗木といつものメンバーに佐藤さんが加わった、三人で街中の大きなデパートに来ていた。
 放課後といっても、そこまで遅くないはずなのに人はかなり居る。雑踏の中、俺たちは二階の喫茶店に入った。
 入ると、快く店員さんが「いらっしゃいませ~!」と言って席に通される。
 四人掛けテーブルなんだが、佐藤さんは当たり前のように俺の隣に座った。そして、それを見て暗木は面白くなさそうに鼻を鳴らす。
「それで、ここに来たのは下見も兼ねてるんだけど――って、聞いてるのか?」
 暗木は、俺の顔をじぃーと睨み、もとい、見つめると溜息を零す。
「分かってますよ。もちろん、ここの喫茶店も利用するつもりなので徹底的に堪能するつもりですよ」
 早速、メニューに目を落とす暗木に対し、佐藤さんは鼻歌を歌っていて上機嫌だ。
「佐藤さん、やけに機嫌いいね?」
「そりゃ、もうっ! だって、今のシチュなんて、まるで女友達に惚気話聞かせてる感じしない?」
「え、そんな感じする?」
「するよー。ほらっ!」
 佐藤さんは、俺の腕に引っ付く。そのせいで、豊かに育った胸の間に俺の腕がすっぽりと入る。大変柔らかいです。
 暗木がまたしても、睨んできたので、俺の方から離れる。
 そのタイミングで店員さんが横切ったから、呼び止めて注文する。アイスコーヒーとオレンジジュースにラムサイダーだ。
 店員さんの仕事が早いのか、飲み物はすぐに出てきてくれた。俺はアイスコーヒーを一口飲む。
「うん、美味しい」
「そうだね、ここのオレンジジュースも、あたしのバイト先と同じくらい美味しい」
 佐藤さんも一口飲んで、絶賛していた。
「ラムサイダーは燐火さんの所の方が美味しいです」
 暗木はあまりお気に召さなかったのか、辛口なコメントだ。
「そうか。……にしてもここ、結構雰囲気あるな」
 この喫茶店は内装も結構凝っていた。
 広さはそこそこ、席はカウンターとテーブル席の二つで、カウンター席の目の間にはクリアケースが並べてあり、その中には目を惹くデザートたちがある。
 店の小物自体も意識しているのか、アンティーク調の物ばかりで統一されていた。
 ウェイトレスだって、可愛い格好をしているが決してメイド喫茶のようにミニスカートというわけではなく、どこか気品を感じさせる。
「そうだね。今度二人で来る?」
「いや、なんでだよ」
 佐藤さんがズカズカと一歩来る中、俺は一歩下がるような会話をする。
「そこぉ! イチャつかないでください!」
 暗木が勢い余って立ち上がる。おまけに声も大きかったせいもあって、他のお客さんから乾いた目線で見られた。
 言った本人も気が付いたのか、静かに座る。
「べ、別にイチャついてねーよ」
 まったく、と暗木は嘆息し、再びラムサイダーを味わう。
「それで、ここには佐藤さんの好きな服のメーカーがあるでいいんだよね?」
「うん」
 佐藤さんは短く、確かに首を縦に振った。
 服をまったく持っていない暗木のために、俺たちは佐藤さんにまたしても頼み、暗木に似合う服を見繕ってもらうのだ。
「楓子もきっと気に入ると思うよ」
「そ、そう」
 頬を少し紅く染めた暗木は、佐藤さんに小声で「ありがとう」と呟く。
「佐藤さんは、よく来るのか?」
「んー、そこまで来ないかな。咲夜くんは?」
「俺も。あまり来る用事ないし」
 そう言って肩を揺らす。
 天満と遊ぶときはお互いの家とかだし、ここまで来るのにも少し時間かかるし、で俺はあまりこのデパートには足が向かなかった。
「暗木は?」
「んー、私はそこそこ来ますかね」
「えぇええ?!」
 思わず、大きな声をあげてしまった。
 そのせいで、またしても他のお客さんから白い目で見られる。そろそろ、あそこの席の奴ら……は、と嘆息つかれそうだ。
「な、なんで、そんなに驚くんですか。私だって、こういうとこ来るんですよ」
「いや、だって……」
 言葉を濁らせるが、次に出てくる言葉が出てこなくなった。
 それに、気付いたのか佐藤さんが尋ねる。
「楓子は何しにここに来るの? ショッピング?」
「ショッピングですね」
「へー、何の?」
 すると、暗木は腕組をして、考え始め、答える。
ラノベに漫画にー、あとは、コンシューマーのゲームかなぁ」
ラノベ? コンシューマー?」
 佐藤さんは頭に疑問符を浮かべながら聞く。
「それにオタメイトだけだと、特典にバラつきがないし。そういう時はここで買ってますね」
「暗木よ」
「はい?」
「佐藤さんがよく分かんないって顔してる」
「そうですか」
 興味無さそうにラムサイダーを一口飲む。
「そうですかって……。あんまコアな話するなよ、天満には」
 絶対分からなくなるから。
「そ、それくらい分かってますよーだ!」
 ふんっ、と顔を背け、腕組みをする。
「まぁまぁ。あ、ほら。もう行こうよ? ね?」
 携帯の時計で時刻を確認すると、思ったより長居してしまったようだ。
「ありがとうございましたー!」
 店員の元気な声に見送られながら、俺たちは店を出た。
 俺は、もちろん、二人も満足したのか、店員にお礼を言っている。佐藤さんはお礼を言い終わると、「じゃ、行こ」と言う。
 道がよく分かってない俺はまだしも、暗木も付いて行く。お前が先導しろよ、と思うけど。
 佐藤さんの好きな服のメーカーは五階にあるみたいだから、エスカレーターに乗っていく。
 丁度四階に着いたときだった。その光景が見えたのは。
 ゲームセンター。
 暗木は目の前にゲームセンターに連れられて、向かう。俺と佐藤さんは顔を見せ合わせて笑みを零す。
「朱雀さん。これやりましょ! これ!」
 暗木はそう言いながら指を指したのはバスケのシューティングゲームだ。
 決められた時間内にできるだけゴールを決めると得点を重ねていくという単純明快なものである。もちろん、マルチプレイにも対応していて機種によっては全国対戦もできるようだ。
「おいおい、大丈夫か?」
「何がですか?」
 首を傾げる暗木。
 このゲームは単純に得点が多い方が勝つ。そして、得点をとるにはゴールを決めなければいけない。故にゴールを決める力、それはバスケがうまいかに直結する。
 暗木はオタクだから、ハッキリ言って運動神経は良くはないだろ。これは確かに偏見だ。だが、こと暗木に関しては当てはまるだろう。
「やるんですか? 逃げるんですか?」
「いいだろ、やってやる」
 佐藤さんは近くで「二人とも頑張れー」と緩い掛け声を送っていた。
 五分後には勝敗が決していた。
 俺の負けで。
「何でだ……」
 一人、膝を地につけ頭を抱えていた。
 暗木はものすごいドヤ顔で胸を張っていた。佐藤さんもそんな暗木を見て「すごい」と連呼している。
「朱雀さん、これは”ゲーム”なんですよ?」
「だから何だって……」
 そこまで口走ったところで分かった。これはゲーム。つまり、暗木の独壇場のゲーム。なぜなら、オタクは基本的にゲームに関しては基本高スペックなのだ。
 一見地味な奴が、近所のゲーセンでは二つ名で通っていることなんて、よくあることだ。女子に話しかけられる日常より、よくある。
 ちなみに、俺はゲームは特段得意ではない。
「”ゲーム”なら負けませんよ」
 より一層、俺は自身の体を地に近づける。
「えー、なら、あたしやってもいい?」
「「え」」
 暗木も驚いているが、俺も驚いた。
 その驚いた気持ちを抑えつつ、諭すように話す。
「佐藤さん、負けるよ?」
「えー、そうかなー。あたし、結構バスケ得意だし」
「そうですよ、これはバスケではなく、ゲームですよ」
 二人して、佐藤さんをとめる光景は少し可笑しかった。
「楓子はあたしに負けるのが怖いんだ?」
 分かりやす過ぎる挑発をかける。さすがに、これには乗らないだろう。
「いいでしょう! やりましょう! 親切心で止めてましたけど、もうしりません! 戦争です!」
「そうこなくっちゃね!」
 二人は先ほどと同じように百円を入れる。暗木の分はさっき俺が負けた代償として、俺が払った。負けたら罰ゲームらしい。
 勝敗は同じく五分もしたら決した。
「なんでですかぁ……」
 そんな地の底から出してるような唸り声を出したのは敗者の暗木であった。
 逆に勝者の佐藤さんは「こんなものか」と得点が書かれたボードを見つめている。どうやら、少し不服そうだ。
「どんな強者も負けるっていうしな」
 床に倒れ込んでいた暗木の肩にポンッと手を置く。ドンマイ、という言葉を添えて。
「それじゃ……、罰ゲームしよっか」
 佐藤さんは明るいトーンと表情で暗木に言い放つ。
 いいザマだ、と見ていたら、佐藤さんは俺の方に振り向いて、
「咲夜くんもだよ」
「え」
「だって、ビリでしょ?」
「いや、でも、あのですね?」
「いいよね?」
「………………はい」
 すごく、ものすごく小さい声で嫌々返事をした。
「よし! それじゃ、あれやろっか」
 佐藤さんが指さした方に視線を動かすと、四角い箱があって、それは俗に言われるプリントシール機、簡単に言うとプリクラ。
「プリクラとるの?!」
「うん」
 即答で肯定をされてしまった。
 暗木に関しては、体が拒否反応示しているかのように震えている。
「ほら、二人とも!」
「ちょ……!」
 佐藤さんの力は思いの外、強くてプリクラへと押し込まれてしまった。
 中に入ると、意外と三人でも十分スペースがとれるくらいには広い。そして、お金を入れると、音声案内が始まった。
 それに従い、俺たちはポーズをし、写真を撮られていく。
 その何十秒後に、外のシール取り場からシールが出て来た。
「うわっ、なんだこれ」
 その写真には「ベスト☆フレンドズ」という如何にも青臭い、もとい、青春の匂いが感じ取られるフレーズが刻まれていた。
「どう? いいでしょう? 落書きしちゃった」
 プリクラには撮った写真を、自身のお好みで落書き、加工できるから、佐藤さんはそれを使ったのだ。
 にしても、恥ずかしいな。
「……」
 暗木は、何も言わない。撮る前のような震えも何もない、だけど、何も言わない。
「何にしても、これで」
 佐藤さんはそこまで言うと「ううん」と、首を横に振って否定する。
「これからも友達だよ」
「友達……」
 暗木が切なく悲し気に復唱する。
「もうゲーセンもいいだろ? さっさと服見に行こうか」
 少し恥ずかしさを覚えた俺は話題転換をする。
 それに、二人とも頷いて歩き出してくれた。
 再度、エスカレーターに乗り、五階を目指す。五階に着くと、基本的には全フロア服屋なため、どの店かと探す。
 しかし、佐藤さんは道をしっかりと憶えているらしく、佐藤さんを筆頭に付いて行くことにした。
「ここだよ」
 佐藤さんが止まって、そう言った場所は少し歩くだけで着くほどの距離だった。
 入り口にはクリアケースが催されていて、その中にはお洒落な服が並べられている。予想以上にお洒落なお店だ。
 暗木を見ると、またしても固まっていた。それもそうか、と納得する。普段ジャージしか着ない暗木なら当然すぎる反応だ。
「ほら、入ろうよ」
「お、おう」
 若干たどたどしい足取りで店内に入ると、シックな音楽が流れていて雰囲気を感じる。
「なんで、咲夜くん、そんなにキョドってるの?」
「なんか、女の子の服の店だし緊張とか……。俺、さっきの喫茶店で待ってていい?」
「ダメだよ。ちゃんと男の子目線の意見も欲しいんだから。それに、そんな緊張しないでしょ。いつも行く服屋さんと変わらないよ」
「俺行かないからなぁ」
 そう言うと、佐藤さんは目を丸くさせた。何か変な事いったのだろうか。
「え、咲夜くん服どこで買ってるの?」
「インターネット」
 佐藤さんは「そうなんだ」と納得してくれた。
「楓子は、なんかどういう服がいいとか希望ある?」
「……」
 反応がない。
「楓子?」
「…………」
 またしても、反応ない。
「おい、暗木」
 両肩を掴んで、揺さぶっても反応は無い。
 ふぅー、と息を吐き出し、暗木の脳天にチョップを入れる。
「あいたっ?!」
 頭を擦りながら、呻きだす。
「ほら、佐藤さんが困ってるんだろ。場違いなのは分かってるだろうけど、少しは頑張れよ」
「っ~~! わ、分かりましたよっ!」
 何に怒っているのか分からないけど、暗木が佐藤さんの所へと向かったのはいいことだ。
 正直、俺自身、この空間に長くは居たくない。
 女の子の服屋なので、ターゲットは女の子だけだから、必然と男である俺は浮くのだ。
「ふぅ……」
 テキトーにそこら辺の服をとる。
 少し恰好のいいトレーナーで真ん中にはおそらくここ独自のブランドロゴが入っていた。
 値段を見ると、学生的には少し高いくらいの値段で現実的だ。
 ふと、暗木たちの方を見ると、店員、佐藤さんの三人で何やら話し込んでいるみたいで、少し時間がかかりそう。
 でも、ここに居ると自分が初めて脱オタして服を買った時のことを少し思い出す。
 俺の時はネットだし、マネキン買いだったしで似てるとは、とても思えないんだけど、暗木が歩もうとしている道に限りなく近いと思う。
 携帯を見たり、服を見たり、たまに暗木たちを見て、それで三十分くらい過ごした時、
「咲夜くん、咲夜くん」
 佐藤さんに、ちょいちょい、と手招きをされる。
「何?」と近づくと、「楓子が今から出てくるよ」と返してくれた。
「それじゃ、楓子出てきて!」
 少し大きめの声でそう言うと、カーテンで区切られた試着室から声が返ってきた。
「嫌だ」
「そんな可愛いのになんで?」
「嫌だから」
 子供か、と思い少し笑えた。
「もう、そんなこと言わないでさ、ほら!」
 俺と店員さんが見守る中、佐藤さんが強引にカーテンの中に入り、暗木を引っ張り出す。
「きゃっ、やめ……! あっ……」
 女の子らしい悲鳴を出した暗木が、俺の目の前に現れた。
 正直に言うと、誰? っていうレベルで変わっている。本当にあの暗木なのだろうか。
「ほら、可愛いじゃん」
 暗木の髪の毛は長いままこそだが、綺麗に分けられていて、いつもは隠れている眼鏡も今は隠れていない。
 そして、肝心の服装は、ここの独自ブランドのグレーのロゴパーカーに少し短めの黒のミニスカートと綺麗にまとまっていて可愛らしかった。
「……ま、まぁ、可愛いと思う」
 自分が思ったようなことを言うのは思った以上に恥ずかしく、目を見て言えなかった。
「あ、ありがと……ござい……ます」
 しかし、佐藤さんはまだ改良点があると思ったのか、あることを言う。
「眼鏡外してみたらいいんじゃないですか?」
「え?」
 それに反応したのは暗木自身ではなく、俺だった。
「うん、一回外してみようよ」
 暗木は、もうどうにでもなれと思っているのか素直に眼鏡を外そうとしている。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
 外す直前に制止させる声を出していた。
 出してから気が付いたが、ここからどう言えばいいだろうか。
「め、眼鏡はさ、つけてていいんじゃないか? この服装だってつける前提で着ているわけだろうしさ」
「そうかな?」
 佐藤さんは不思議そうに俺を見つめる。
 店員さんは空気を読んでか、何も発しようとはしない。
「あぁ、それに天満、確か眼鏡好きって言ってた気するし」
 嘘だ、そんなことは一度も聞いたことない。
「そっか。なら、これでいいのかな」
 俺の言い分に納得したのか、佐藤さんは暗木に外さなくていいよ、と伝える。
 でも、そんな言い分は嘘で、ただ単にあの素顔を佐藤さんには、おろか、天満にも見てほしくない。
 あれは俺だけが憶えていたい、単純にだが、なぜだが、そう思えてしまった。自分でも不思議だとは思う。
「ありがとうございましたー!」
 店員さんの明るい声で、見送られ俺たちは服屋を後にした。
 お金はなんとか、自前だけで足りたらしく、暗木は大切そうに袋を持っている。
 デパートから出ると、日はとっくに暮れ、秋の寒風が吹いて、体を一瞬震わせた。
 あとは、先日した俺との模擬デートのように楽しみ、今回の服を着るだけで天満はきっと暗木と仲になれるだろう。
 そう思うと、胸にジンっとした痛みが走る。火傷に似ていて、一定間隔で痛みが走り続けた。
 天満と仲良くなり、付き合って、きっと、今以上に友達が増えて、学校を楽しめるだとう。
 その時、俺は暗木とどう接すればいいんだ?
 友達? 仲間? 協力関係?
 どれもが、違くて、でも、正しくて、それ以上に寂しいものだと感じだ。
「私と楓子はこっちだから」
 佐藤さんが楓子の手を繫いで、一緒に帰り路へと歩いて行く。
「あぁ」
 短い返事を彼女らの背中に言うと、俺も帰ろうと二人とは反対の道へ進もうとした。
 一歩、二歩、踏み出したあと、背後から走る音に気が付く。関係ないだろうと思い、気にもせず帰ろうとすると、
「朱雀さん!」
 俺の名前を呼んでくれた。
「暗木?」
 振り返ると、彼女が居た。寒さで少し震えている彼女だ。
「今日はありがとうございました」
 そう言ってペコリと頭を下げた。
「それだけです」
 頭をすぐに上げて、俺に答える。
「え、それを言いにわざわざ?」
 意外すぎる行動に驚かされる。
「はい! では、おやすみなさい」
 手をひらひらと振り、踵を返して行った。
「おやすみ」
 そう言った言葉と俺の少し可笑しい気持ちは彼女に届くのかな。

*

 俺の気持ちが微妙なまま暗木と天満のデート当日を迎えた。
 少し陽が暖かい今日。俺はというと、佐藤さんのバイト先に来ている。
 佐藤さんも今日のシフトは無いらしく、俺の真正面でオレンジジュースを飲んでいた。
 俺の指が、無意識にせわしなく動く。まるで、何かを待っているかのように。それを可笑しく思ったのか、佐藤さんは優しく話しかける。
「そんな焦ったって、まだ来ないよ」
 分かっている、と言わんばかりに目を配るが、おそらく伝わっていない。
「あ」
 佐藤さんが店の入り口を見ながら、そう呟く。
 それに、体が誰よりも、自分で思っている以上にはやく反応する。
「見間違いでした~」
 佐藤さんの声が背後から聞こえてくる。
 じぃーとした目線を送るが、佐藤さんは悪びれもせずに、
「でも、咲夜くん、反応するのはやすぎない?」
 そう笑いかけた。
「そ、そりゃ、気になるだろ。言わば特訓の成果なのだから」
 それを聞くと、佐藤さんは呆れたように言う。
「……本当にそれだけって思ってるの?」
「もちろん。それ以上もそれ以下もない」
「はぁ……」
 溜息をし、佐藤さんは目の前のオレンジジュースを音を出して吸う。
「何だよ」
「いーや? 咲夜くんは本当に分かっていないのか、それとも分かっていないふりをしているのか」
「ぜんっぜんわかんねぇ」
 何を言っているのか理解できない。
「ま、いいけど。その方があたし的には好都合だし」
 佐藤さんは再び、ジュースに視線を落とす。
 俺もコーヒーに視線を落とすと、その水面に俺のなんともいえない顔が映し出されていた。
「いらっしゃいませー」
 店員の少し高い声が店の中をこだまする。特に気をとられるわけでもなく、俺は気にしないでいた。
 しかし、佐藤さんは何かに気が付いたのか、不愛想にコーヒーを飲んでいる俺を叩いてくる。
「ちょ、ちょっと。あれ見て! あれっ!」
「なんだよ、俺は今コーヒーを」
 口につけ、飲んでいたコーヒーのカップをゆっくりとテーブルに置く。
 そして、佐藤さんが指さす方に視線を向け、
「暗木と天満……」
 本当に来ていた。
 佐藤さんから今日、暗木たちはここで待ち合わせをしているって聞いたが、実際に来るまでは半信半疑だった。
 しかし、実際に暗木は天満を連れて、ここに来ている。
 暗木の恰好は以前、俺と佐藤さんと一緒に買ったパーカーに黒のミニスカートと、あの時の服装そのものだ。
 天満も俺と遊ぶ時と同じようなラフな格好で、傍から見ればそれはカップルのようと思える。
 それが余計に心に傷を残す。
「……いい雰囲気じゃないですか」
 二人が来店してから少し経った頃に佐藤さんはそう言った。
 俺たちから見て二人は少し離れている場所にいるから、二人には気づかれていない。
 だから、俺たちはそのまま二人の行動を見守っていたが、その必要も無さそうなくらい仲が良く見えた。
 暗木も一時期は能面とか被っていたのが嘘のように喋れている。
「…………」
「気に食わないんですか?」
「ぶはぁ! ごほ、ごほっ! じゃ、じゃれが!」
 コーヒーが気管に入り、むせてしまう。おまけに噛み噛みで声を荒げる。
 暗木がそれに気づいたのか、こっちに振り返ったので、俺たちは咄嗟に顔を伏せやり過ごす。
 その態勢を維持すること、数秒。暗木は気にしなくなったのか天満に向き直す。
「っぶねぇ……」
「あはは、そうだね」
「下らない事言うのやめてくれよな」
「ごめん、ごめん」
 佐藤さんは無邪気に、それでいて楽しそうに笑みを零す。
「あ、楓子たちどこか行くみたい」
 それを聞いて、暗木たちを見ると、荷物を持って店の出口に行くのを見届けると、
「俺たちも行こう」
 佐藤さんの手を掴み、立ち上がる。
「え、あ、うん!」
 嬉しそうに声音を弾ませ、返事をした。
 ありがとうございましたー、という声を後にし、暗木たちを追う。
 暗木たちは、まだそこまで歩いていないから、追いつくのは簡単だった。
 しかし、見つからないため、ある程度距離を開けなければいけない。そのせいで、暗木たちの声も聴くことができなかった。
「これじゃ、何話してるのかも分かんないな」
「そんなに気になるの?」
 隣を歩く佐藤さんが尋ねる。
「佐藤さんは気にならないわけ?」
「うん」
「それって冷たくない?」
「そう? でも、楓子だって聞かれたくないはずだよ」
「そうか? 気にする奴じゃないだろ」
 そう言うと、佐藤さんは呆れたように肩を揺らす。
「そんなわけないじゃん。 誰だって好きな人との会話なんて聞かれたくないもんだよ。私だって、今楓子に会話聞かれたくないし」
 最後の方は小さく、消えるような声だった。
「それでも、俺たちは聞く権利……いや、聞く義務があるんじゃないか。だって、これはあいつ自身だけで、できたことじゃないし、俺たちがたったことだ。なら、責任をとるのも、見届けるのも義務だ」
「無理矢理すぎだけど、まぁ、分からなくは……ないかな」
「それなら、なんとか、考えて――」
 どんっ、と背後から思いっきり押される。
 その反動で前進していしまい、暗木たちとの距離が一気に縮まる。
「(馬鹿、こんなに近かったらバレるだろ!)」
 ひそひそ声で、しかし、感情を込めて言う。
「(でも、こうするしかないし)」
「(と言っても他にやりようもあるだろ)」
「次はどこに行くんだっけ?」
 天満が陽気に暗木にそう尋ねる。
「つ、次はですね。その」
 暗木は頬を少し染め、ゆっくりと口を開く。
「オ、オタメイトっていうとこなんですけど」
「あ、あそこか! 漫画とか売ってる!」
「そ、そうです! そこに行こうかなって退屈かもしれませんけど」
 その声は今にも街の喧騒に消え入りそうな声だった。
「そんなことねーよ。俺も漫画とかなら、好きだし。それに色々おススメとか聞いてみたいしな」
「……」
 暗木は小さく首を縦に振っていた。
 その会話を一つ一つ拾っていく度に心が砕けそうになっていく。
「(で、どう?)」
 相も変わらず、俺と佐藤さんはバレないよう細心の注意を払いながら、小さな声で会話をする。
「(うまくやっているようで安心している)」
「(本当に?)」
「(どういうことだよ?)」
「(いや、安心しているのに何だか怒っているようだから)」
 怒っている? 俺が?
 佐藤さんは何を言っているんだと思ったが、自分の手を見て、その考えを思い直した。
 拳をぐっと、力強く握っていたからだ。
「(……)」
「(咲夜くん……?)」
「(何でもない)」
 そうしていると、次のデートスポットであるオタメイトが見えて来た。
 オタメイトを見つけたからか、暗木たちの足もはやくなる。
 暗木たちがはやくなった手前、佐藤さんの足も必然的にはやくなって、それを追いかけたが、
「(咲夜くん、何してるの?)」
「(……)」
「(咲夜……くん……?)」
「(……)」
 痺れを切らしたのか、佐藤さんは俺の手を引っ張ってオタメイトに入っていく。
 一階には今日、休日なこともあってかかなりの人数のオタクが居る。その面々の顔はすごく幸せに満ち溢れていた。
「楓子はどこに居るのかな」
 佐藤さんはおそらく初めて来た場所なのに、特に引くこともなく見失った暗木を探し始めていた。
「咲夜くんも探してよ」
「……多分、三階だ」
 それを聞いて、佐藤さんは目を丸くしたが、すぐに足を三階に向けた。
 三階に着くなり、先ほどの客層より、より一層濃くなったがその中に異色の人物が居る。
 その人物は見るもの全てが新鮮なのか、瞳をきらきらとさせていた。
「天満……」
「楓子と天満居たね」
「ん、あぁ。そう……だな」
 暗木と天満が楽しそうに本を見ていた。
 その光景は、今まで俺がしたかった光景で、見たかった光景なのに、なんで、こんなにも苦しいのだろう。見たくないと目を瞑りたくなるのだろう。
 それでも、しっかりと見なきゃいけない。俺は見届ける義務があるのだから。
「やっぱり、嫌なの?」
「そんなわけないだろ。嬉しい……に決まってる」
 佐藤さんはそれを聞くと、開いていた口を、ぐっ、と抑え、閉じた。
 オタメイトはお客さんがかなりの人数いるから、近くに行ってもそうはバレないだろうとすぐ後ろで会話を聞こうと動く。
 動くと、すぐに会話は俺の耳に入ってくる。どんな喧騒よりも、色強く聞こえた。
「これすっごく面白いんですよ!」
「へー、確かに面白そうだ。登場人物カッコいいし」
 天満は少し声を高くしているか、きっと楽しく思っているのだろう。
 暗木もそれに対して、嬉しく思っているから照れているのか。
咲夜さん
「どうした?」
 横に居る佐藤さんにシャツを掴まれ、振り向くと、
「ちょっと人多すぎますよね」
 そう苦笑した。
 さっきからずっと、三階を行き来するお客さんにぶつかられてしまう。
 だから、佐藤さんはぶつからないように、俺の腰に縋るように纏わりついていた。
「オタクショップはどこもこんなもんだよ」
「そ、そうなんだ」
 佐藤さんの柔らかい胸が押し付けられて、ちょっと変な気分になる。
「暗木さんはよくここに来るの?」
 すぐ近くで、天満が疑問に思ったのか尋ねる。
「そ、そうですね。暇なときにふら~っと」
「へー。俺初めて来たから何もかも新鮮だよ」
「そう言ってくれると、とても嬉しいです」
 嬉しそうにハニかむ暗木を見て胸が焦げた。
 暗木たちは、三十分程、そのまま三階で会話し、店を後にする。さすがに、上のエロゲ売り場には行かなかったようだ。
 俺たちも暗木たちの後に続いて、店を出る
 その後は、俺たちがこの間行ったデパートへと向かって行った。
 デパートもやはり、休日という事で家族連れがよく目立っている。
「懐かしいなー、ここ」
「そうなんですか?」
 暗木たちのすぐ後ろで話を聞いている俺たちは、特に話すこともなく二人の会話に耳を傾けていた。
「おう、前に咲夜とここで遊んだこととかあったし」
「朱雀……さんとですか」
 一瞬だけ暗木はなぜか、俯いた。
「そうそう、あの時はゲーセンとか行ったなー」
「ゲーセン行ってみます?」
 暗木がそう尋ねると、天満は嬉しそうに暗木の手をつかんで、
「え?! いいの?」
「は、はい……。元々行く予定でしたから」
 頬を紅く染めて、天満を意識している暗木。
「じゃ、さっそく行こう!」
 そう天満は張り切って、ゲーセンがある階へと向かう。
 俺たちも向かうと、歩くと、
「佐藤さん、どうしたの?」
「う、ううん。何でもない」
 ボッーとしていたのか、慌てて俺の方へと駆け寄る。
 暗木たちより、遅れてゲーセンに行くと暗木たちはもう遊んでいるみたいだった。
「うわっ、やられた! なんだよ、このゲーム難しすぎる」
「ははっ、もう天満さん何度目ですか、それ」
「えぇ?! そんなに同じ場面でやられてた?」
「ふふ、はい。それはもう……ははっ」
 どうやらシューティングゲームをやっているようで、天満はやって早々に死んでしまったみたい。
 確かに天満はあまりゲームがうまいわけじゃないからな。
 そして、反対に暗木はゲームめちゃくちゃうまいし、想像以上に正反対な二人に笑えてしまう。
「もう一回!」
 そう言って、天満はもう一度お金をゲームへと入れる。
 正反対だからこそ、楽しそうで、こんなにも見ているが俺が辛いのだろうか。
 その五分後には天満の操っているキャラクターは死んで、天満は笑っていた。
「やっぱり、難しすぎるよ。暗木はホント凄いな」
 暗木は未だに一度もダメージを負っていないから天満が素直に称賛の声をあげた。
「そんなことないですよ。ちょくちょくやっていれば、できるようになりますよ」
 そう言って、銃のトリガーを引き絞ってターゲットに撃ちつける。
咲夜さん、私たちも何かやりません?」
「うわっ!」
 耳元で呟かれ、あまりのくすぐったさに痺れる。
「そんなに驚いちゃバレちゃいますよ」
 実際、ゲーセンはかなりうるさいので余程のことがなければ、まずバレない。
「大丈夫だよ。ほら、ここうるさいし」
 隣のパチンコ台なんか、今日はよく当たっているのかさっきから演出の音が、かなりうるさい。
「む~~っ! 何かゲームしましょうよ」
「馬鹿。暗木たちがどっか行ったらどうするんだよ」
「大丈夫ですって」
「何がだよ!」
「先っぽ……じゃなくて、ちょっとだけですから!」
「意味わからん!」
 ボケにツッコむ度に声が大きくなっているのに気づき、口を抑える。
 そして、佐藤さんを静かに睨む。佐藤さんは睨まれても、下手な口笛を返すだけだった。
「次はこれやろうよ」
 次第に暗木のゲームが終わったのか、天満は終わったばかりの暗木をあるゲームに誘う。
「レースゲームですか?」
 それは天満が好むレースゲームだった。
「そう! 俺好きなんだよね。やってみない?」
「い、いいですけど。私あまりレースゲームやらないので……その」
「大丈夫、大丈夫! 楽しんでやれば、いいから」
 暗木を車の椅子に似せたゲーム盤台に乗せる。天満も、その隣に座るとお金を盤台に入れ始めた。
「ゲームやろう!」
 そう佐藤さんの手を引っ張って、俺たちも同じゲームの反対側―――対面するように座る。
 実際に対面したとしても、モニターが邪魔でお互いの顔なんてまず見えない。
「あれ、四人になってるね」
 天満が不思議そうに呟き、
「そうですね」
 暗木もそれに同調する。
 暗木、天満、佐藤さん、俺の四人となっている。
 しかし、暗木と天満はそれに気が付いていない。
 車を選び、レース会場を選択、遂にゲームがスタートする。一、二、三とブザーが鳴り、一斉に四台の車が駆けだす。
 トップは俺で、次点で天満、暗木、佐藤さんとなっていた。順位は変わらずにそのまま、一週する。
 しかし、コーナーで天満に抜かれ、そのまま二週目回られた。ラストラップでは、今まで黙っていた暗木の車が一気に俺と天満の車を追い越し、そのままゴールイン。
「うわー! まじか、勝ったと思ったんだけどなー」
 落胆した天満の声が耳に届く。
「ははっ、こういうゲームは最後に力をとっておくのは鉄板ですよ」
 勝利者である暗木が声を高らかにそうアドバイスする。
 俺も思ったより集中して疲れたせいか、ゲーム盤台の背もたれに体重を預けて、天井を仰ぐ。
「咲夜くん、これ難しすぎぃ……」
 負けて、悔しいのか佐藤さんは、しゅん、と肩を落としていた。
「確かに初めてやる人にはキツいかもね」
「でも、楽しかった。今度は本当の意味で四人でやりたいな」
 その時、暗木たちはどこかへ行くのかゲーセンから離れていく。
「そう……だな」
 曖昧な返事をし、暗木たちの後を追う。
 連れられるまま、追いかけるまま、行ってついたのが以前、俺たちが服を買う前に来た喫茶店である。
 あの時と変わらないウェイトレスさんが迎え入れてくれてた。
 俺たち、二人が通された席は暗木たちのテーブル席の反対のカウンターだった。なので、二人の声も筒抜けだ。
 席に着くなり、俺はアイスコーヒーを、佐藤さんはグレープジュースを頼み、暗木たちを見守る。
「今日はすっごい楽しかった」
 天満がそう言った。
「わ、私もです」
 それに同調するかのように、暗木も答える。
「暗木さんとは全然喋ったことないから、色々知れて新鮮だったよ」
「え、あ……。そうですね」
 暗木は何か詰まったように口を詰まらせた。
「暗木ってクラスだと地味めだけど、休日の服装とか可愛いんだな」
「ひゃ、ひゃい?!」
「そういうのクラスに出していけば、もっと好かれると俺は思う」
「あ、ありがとうございます」
 声だけでも、暗木が照れてるのがよく分かった。
「いい感じだね」
 横から、佐藤さんが、ひょいと顔を覗かせる。
「あぁ。良かったよ」
「まだそんなこと言ってるの?」
「? どういう意味だ?」
 首を傾げていると、
「分からないならいいよ」
 佐藤さんは、ぷいっ、と顔を逸らし、グレープフルーツを飲み込む。
「なんだ、それ」
 俺もアイスコーヒーを一口飲む。
 そして、しばらく店内に流れる洋楽に耳を傾けること、三十分。
 それまでは、他愛もないことを言っていた天満が急にこのデートの、暗木の最終目的であることを尋ねる。
「でもさ、今日なんで、俺を誘ってくれたの?」
 天満がそう放った一言は、まるで心臓をつかまれたような衝撃をよこした。
「え、それは……」
 一呼吸、二呼吸、と時間は流れた。
 そして、暗木はゆっくりと口を開く。
「ちょっと外に出ませんか?」

 店に出たら、もういい暗さの時間であった。
 そのまま暗木たちに連れられるように、駅まで行く。
 もう俺には近づく、体力も気力もなく、ただ遠くで見守るだけだった。
「……」
 佐藤さんはさっきからずっと黙ってる俺を見て、ずっと黙っていた。
 暗木たちに視線を寄せると、暗木たちは改札のそばで対面している。
 俺と佐藤さんもそれをただ見て、デートの行方を気にしていた。
「――」
 そして、暗木は天満に向かって何かを語り掛ける。
 ゆっくり、と顔を上げて、紅くした顔を照明に照らされて、何かをハッキリと伝えた。
 それが何なのかは俺には分からない。けれど、大事なことっていうのは分かった。
「――――」
 天満はそれに対して、幾分も考えずに答えを見つけたのか、口を開いていた。
 表情、そのものは真剣で、茶化すなんて隙間はどこにもない。
 しかし、その真剣さが暗木を歪ませた。
 暗木は天満の返答を受けて、瞳に涙を浮かべ、顔は俯き、今にも砕けそうであった。
 そして、残り少ないであろう力を振り絞って、暗木は精一杯の笑顔を天満に見せ、逃げるように、その場から改札内部へと消えた。
「ふ、楓子?!」
 佐藤さんはその展開について行けずに、思わず声をかけたが、その声は暗木に届かなかったのか暗木は止まることなかった。
 天満は何かを諦めたように、一人首を振り、天満もまた改札内部へと歩いて行く。
 俺と佐藤さんだけが取り残され、何もかも、謎だけが残ってしまった。
 ……けれど、どこかで安心した俺が居るのが許せなくて、自分自身を嫌いになりそうだった。

 *

 教室で天満は普通だった。普通すぎた。
 まるで、昨日の事なんて記憶から切り抜かれたように何事も無く授業を受けていた。
 今――昼休みだって、特に何も暗木とは言葉を交わさず、いつも通り俺と一緒に居てくれている。
 それ故に、聞けなかった。
 俺がここで天満に聞けば、暗木との関係性を明かすことになるから聞くことができない。
 それに、天満の口からではなく、俺は暗木の口から聞きたいという気持ちもある。
 今まで、協力してきた結果なのだから、俺には本当の――ありのままを知る権利も、義務だってあるのだから。
 そんな思いを抱えて、放課後はやってきた。
「よす」
 短い言葉で俺は部活棟の教室に居る人に挨拶を交わし、佐藤さん同様テキトーな席に座る。
「朱雀さん、遅いですよ」
「……」
 暗木と佐藤さんだった。
 佐藤さんは昨日の件があって、暗木にどう関わればいいのか、測りかねているようだ。
「悪いな。ちょっとな」
「もう、それじゃ、話はできないですよ」
「話?」
 暗木の言葉に引っかかりを憶える。
「そうです、私、この間デートしてきたんです」
「そ……うか」
 そんなのは知っている。
「あれ? 驚かないんですね?」
「約束してた時は俺らも居たじゃん。だから、今更感がね」
「……」
 佐藤さんは何かを言いたそうにするが、黙っていた。
「そうですか。それで、単刀直入に言います」
 一呼吸置く。暗木はゆっくりと俺たちの目を見て、

「天満さんと付き合うのやめようと思います」

 俺と佐藤さんは思わず、立ち上がる。
「どういうことだよ」
 まず最初に言ったのが俺で、佐藤さんはそれに同調するように問い詰めた。
「楓子、なんで?」
「なんとなく、ですよ。ほら、よくよく考えたらめんどくさいなーって」
「デートが失敗したの?」
 デートの全容を知っているのに、見ているのに佐藤さんは尋ねる。
 もし、暗木の言う事が本当なら原因は駅の別れの時に言った言葉だろう。
「いえ、大成功ですよ。楽しかったですし、でも、なんかなーって」
 あはは、と付け加えるようにヘラヘラ笑う暗木に俺は苛立った。
「なんで、そうやって嘘つくんだよ。なんで、そうやって何でもないような姿しか見せないんだよ」
「咲夜くん……?」
 佐藤さんが心配そうに覗き込んでくる。
「天満を好きになった理由だってそうだ。お前は最初から俺に本当の事なんて、何一つ語ってないじゃないか」
「…………」
 暗木は黙っていた。
 俺は俯き気味だった顔をあげ、再度尋ねる。
「なぁ、なんで本当の事言わない?」
「す、朱雀さん、おかしなこと言いますね。私は全部本当のことを――」
「だったら、あの日なんで泣いたんだよ! あの日なんで、涙なんか流したんだよ」
 消したくても、消えてくれなかった暗木の泣き顔。
「な、なんで、それを……。ま、まさか見てたんですか」
「見てたよ、全部。俺はお前と違うから嘘はつかない」
「なんで、そんな事したんですか! あなたも結局はクラスメイトとは変わらなくて、私を笑い者にでもしたかったんですか?!」
「楓子、それは――」
 ヒートアップした俺たちの間に佐藤さんが割って入ろうとするが、
「燐火、あなたもなの?!」
「え、あ、そうだけど……」
「~~っ!? ……やっぱり、友達なんて……いらなかった」
 それを聞いて、佐藤さんの顔から血の気が引いていくのが分かった。
「佐藤さんは俺が言ったから――」
「なら! 朱雀さん、あなたが悪いです!」
「悪いのはお前だろ! 嘘なんかつくから、こうなるんだ」
「馬鹿正直になんて、言えるわけがないじゃないですか! なんで、そんなことも分からないんですか」
「分かるわけがねぇだろ! 言わなきゃ何も分かんねぇよ! 知りたくても、教えてくれなかったのはお前だろ?!」
 俺と暗木はお互いに言いたい事を言って、息は途切れ、肩で息をしていた。
「……もう……お終いですね。何もかも……」
「まだ話は終わってないだろ」
「これ以上何を話すっていうのですか。もう何もかも終わったんですよ」
 そう言うと、暗木は自分の鞄から一冊のノートを出し、俺に投げつける。
「返します。もう私には必要ありませんので」
 それは事実上の絶交だった。
「データだって、ほら」
 スマホを手早くコントロールし、俺の黒歴史を俺の目の前で消去し始めた。
 やがて、全部消し終わると、俺に向かって、
「もう、これで私とあなたは他人で、リア充野郎と根暗オタクです。一生関わらることもないしょう」
「……」
 何も言えなかった。俺と暗木を結び付けていたのは一冊のノートだった。
 中学時代に書いていた、俺のノートが出会うはずのなかった二人を出会わせ、告別させた。
「さようなら」
 俺に向かって言われた、その五文字を置いて、暗木は去ろうするが、
「待って!」
 佐藤さんがそれを止めた。
 暗木も佐藤さんに言われたからか、足を止める。
「……何ですか?」
 冷たく言い放たれた言葉は佐藤さんの心を削っていく。
「本当にそれでいいの?」
 たった一言。一言だけ、佐藤さんは述べた。
「それで、本当に後悔しない?」
「しません」
 ぴしゃり、と返された言葉に俺たちは何も言えずに暗木は去って行った。

 それから暗木が天満攻略対策本部はおろか、学校にすら来なくなった。

*

 あれからもう一週間が過ぎた。
 今日も暗木は来ていなかった。このクラスで暗木のことを気にかけているのなんて、誰一人いないからか、話題にすら出ることは無い。
 いや、正確には一人だけ居た。
「暗木は今日も……来なかったな」
 天満がポツリと呟く。
「あぁ」
 それに短く返事をする。
「いいのか?」
「何が?」
「このままで」
 天満が心配そうにそう語る。
「俺には関係ないし」
 そう、一週間前、告別された俺からしたらもう関係なんて残っていなかった。
 所詮、俺は協力者であって、友達ですらなかったんだ。
 関係性に悩んでいたのは俺だけで、あいつは割り切っていたんだ。
 そう、考えると拳にぐっ、と力が入る。
「そうか」
 天満の意思の籠った目が弱く灯る。
 一瞬、そう見せたかと思うと次には笑顔で、
「なぁ、今日、久しぶりに帰らないか? お前最近忙しそうだったし、たまにはいいだろ?」
「ごめん。無理だ」
「そっか」
 天満は少し落ち込んだような声音を出す。
 ごめん、と謝ると「何も謝ることなんて何もないだろ」と言ってくれた。その優しさが今は辛かった。
 辛くて、その場に居るのも嫌で、俺は廊下へと歩き出した。不思議と空気がひんやり、としている。
 窓を見れば、もうちらほらと紅葉が落ち始め、秋の終わりを感じさせた。
 ある場所に向かおうと、歩いていた時だった――
「あ、あの!」
 振り向くと、一人の女の子が立っていた。
 制服から察するに一つ年下の女の子だ。面識は……なかった。
「なにかよう?」
 俺が聞き返すと、その子は少し焦った様子で、
「え、えと!」
「……?」
 瞳を閉じ、胸に置いていた手をぎゅっとさせると、覚悟をきめたかのように彼女は告げる。
「好きです! 私と付き合ってください!」
「……一個だけ教えてもらっていい?」
 すると、女の子は戸惑った様子で「はい」とだけ返事した。
「なんで、俺を好きになってくれたの?」
「それは……カッコいいと思って……だから……その」
 俺はふふっ、と笑って、
「ごめん。君の気持ちには答えられない。でも、すごくうれしかった。ありがとう」
 彼女の顔が急激に変わっていく。何度も見たことのある光景で、きっとこれからも見るかもしれない光景だ。
「そん……な……優しく……されたら……ま……た……好きになって……しまいま……す」
「嫌われるよりはマシだよ」
 彼女の涙声が混じった声を聞き届け、向かった――天満攻略対策本部に。
 今は恐らく、誰もいない天満攻略対策本部。
 けれど、俺は居る気がした。
 なんとなく、だけど、居る気がした。扉を開けたら、俺が探していた人物が席に座っていた。
「佐藤さん」
「やっぱり、来たね。咲夜くん」
「やっぱり?」
「うん、咲夜くんは来ると思ってたから」
 座ったまま、佐藤さんは両手を上に伸ばし、体を目いっぱいほぐす。
「楓子を待っている……ていうわけでもないんでしょ?」
「あぁ。俺は佐藤さんに用があった」
「用って?」
「暗木と天満がデートした日。なんで待ち合わせ場所を知っていた?」
「それは楓子に――」
「違う――!」
 言いかけた言葉を一気に制止させる。
「あの時、暗木は俺のことだけを言ったんじゃなくて、佐藤さんのことも悪く言っていた。それは、つまり、暗木は誰にも言っていない中、俺たちが付いてきていることをあの時、初めて知ったからだ」
「それは、つい言っちゃったんじゃ――」
「違う。お前は暗木じゃない別の人物から聞いたんだ」
「……」
 佐藤さんは俯いて、黙った。
「――天満から聞いたんだろ」
「……そう。私は天満くんから待ち合わせ場所を聞いた」
「何のために……って聞くのも野暮か。お前がこの展開を望んだからだろ?」
 諦めたように佐藤さんはゆっくりと顔をあげる。
「うん、そう。私が望んだ結果だよ。これは」
「なんで、友達と決別してまでこんなこと望んだ?」
「それはあなたが好きで堪らないからだよ」
 ハッキリそう伝える。
 でも、俺にはどうしても理解できない部分があった。
「全部が全部、嘘だったのかよ。暗木のために服を選んだのも、これだって……」
 俺はポッケから一枚の薄い紙を取り出す。
 それは俺たちが以前、ゲーセンで一緒に撮ったプリクラだ。そのプリクラにも書かれているように傍から見ればベストフレンズだった。
 それを壊してまで、佐藤さんは俺に想いを伝えようとしている。
 俺のせいで、彼女たちは決別したということになる。俺さえ、居なければ、もっとうまくやれたかもしれない。
「別にそういうわけじゃないよ」
「なら! なんで、なんで……!」
「なんでって。最初に言ったでしょう? 今はまだ無理だけど、未来は……勝てるかもしれないって」
「どういう意味だよ」
 佐藤さんは呆れたのか、席から立って俺に詰め寄ると、胸に指差しをし、コツンと胸板にぶつける。
「あのままじゃ、あの子に勝てないから、だから、私はあなたとあの子がケンカするように仕向けたって言ってるの」
「だから、何で――」
「好きだから! あなたのことを想っているから」
 口にザラつきを憶える。
 どう言えば、いいのか考えているけど、思いつかない。俺はただ、俺はまたみんなで……。
 ふと、手に持っているプリクラを見ると、そこには満面の笑みの佐藤さんに、遠慮気味に笑っている暗木に、背後で不愛想な俺が映っていた。
 もう戻っては来ない。どんなに願っても、戻りたくても、もう戻らない関係に、この表情。
「……ここに来る間にも俺告られたよ」
 ポツリと呟いた。
「その子は俺のことを外見で好きになってくれたみたい。嬉しかった。人に好きになってもらえるよう願ったのは俺で、嫌われたくないと願ったのも俺だからだ」
 それでも、と言葉は止まらない。
「壊したくないものだって、できたんだ。なのに、俺はまた、どこで間違いを起こしたんだ? また、壊れてしまうのか」
「……」
 佐藤さんはバツが悪そうに眼を合わせようとはしなかった。
「佐藤さんは俺のどこを好きになってくれんだ?」
「……咲夜くんは私の名前を聞いても憶えてなかったもんね」
 そう言うと、ゆっくりと手を差し出して、
「いいよ? 答え合わせをしよう」
 徐に彼女は語りだす。まるで、徐々に火が消えそうなロウソクのように。
「これ知ってる?」
 そう彼女が自身の掌に置いたのは一つの鍵だった。
「いや」
 言葉を濁した。だって、その鍵に何一つ憶えなんてなかったから。
「これはね」
 撫でるように、愛おしく鍵を触る。
「あなたがくれたのものなの」
「俺が? その鍵を?」
「違うよ」
 違うんかーい。
「よく見て」
 佐藤さんは言うと、鍵についてるストラップを撫でた。
 それは、おっさんが苗木に埋まっている変なストラップで、俺から見ても趣味が悪い。
 でも、
「それは」
 見覚えがあった。
「あなたがくれたものだよ」
「あぁ、そうだな」
 俺は少しずつ思い出し、答え合わせをするかのように彼女にゆっくり語りだす。

 *

 俺と彼女が出会ったのは入学式が終わり、桜が完全に散った時のことだった。
 俺は放課後、クラスメイトに呼ばれ、体育裏に来ていた。要件は告白であって、俺はそれを断った。
 自分の教室に帰ろうとしていた時に、俺は彼女と出会う。
 彼女は自転車の傍でかがみ、必死に唸っていた。ただ純粋にその行為が気になり、声をかける。
「何してるの?」
 すると、彼女は一瞬驚いたような顔をし、すぐに自転車に向き直った。
「自転車」
 短く区切られた単語。それがどういう意味を示しているのか理解できず、首を傾げる。
 彼女はめんどくさそうに、溜息をし、補足した。
「鍵なくしたの」
「あぁー」
 なるほどね、と顎に手を添える。
「どこらへんか、心当たりある?」
「え」
 俺の発言が何かまずかったのか、彼女は困惑する。
「だから、心当たりあんの? さすがに学校全部は探しきれないし」
「……手伝ってくれるの?」
「まぁ、そうだな」
 彼女はじぃー、と俺を見つめる。それがくすぐったくて尋ねた。
「な、なんだよ」
「ううん。何でもない! ありがとう!」
 それが初めて見た彼女の笑顔だった。
 それから、俺たちは彼女の鍵を探し始める。手がかりは、ハッキリ言って何もないに等しかった。
 鍵には何もついてないし、落とした場所も曖昧だ。
 それでも、時間というのは簡単に過ぎるもので、気が付けば十分、三十分と過ぎている。
 春なのに、額には汗をかき、自転車が止めてあった周辺の地面とにらめっこをしていた。
「ないなぁ」
 自然にそうポツリと呟く。
「ごめん」
 それに反応して、彼女が謝った。
「俺こそ、カッコつけたのに……。ダセー」
 それに彼女が「ふふ」と薄く笑う。手を止めずに、語りかける。
「これなら、壊した方がはやいんじゃねーかなー」
「それはダメッ!」
 声を荒げる。それは完全な否定で拒絶だった。それを聞いて、慌てて謝る。
「ご、ごめん」
 俺の謝りを聞いて、冷静になったのか彼女は先ほどの言葉に続けるように喋る。
「これは大事なものだから……。だから、壊したくない」
「うん、じゃ、探そう」
 止めていた手を再び動かし、草の根を掻き分ける。
 しかし、というべきか、やはり、というべきか、やっぱり見つからなかった。
 そもそも、ここだけを探しても仕方ないと思い、
「他の場所探さない?」
「そうだ……ね」
 まだ探し足りないと思っているのか、視線は定まっていなかった。
「その前に居た場所って教室だっけ?」
「うん」
 それじゃ行こう、と彼女を誘う。
 教室に着くと、誰も居なく居るのは俺らだけだった。それも、そのはずだ。もう教室の窓からはオレンジ色の夕日がよく見える時間なのだから。
 それでも、彼女は必死に、一生懸命に探す。机の中、椅子の下、ロッカーの中までも。
 でも、見つからなかった。
 神様はどれだけいじわるなのだろうか。探し物の一つも見つけさせてくれないとは。
「じ、じゃ、次――え?」
 俺の言葉が止まる。
 探し物が見つかったわけでも、彼女がもういい、と投げ出したのでもない。
「ひっ……、ぐっ……。っ……!」
 静かに、できるだけ声を殺すように泣いていた。
 彼女自身もしかしたら、察したのかもしれない。
――もう見つからないと。
 だから、泣いてるのだろう。
「大丈夫」
 優しく語りかけ、彼女の肩に手を置く。
 そうすると、彼女の涙で潤った目が静かに俺を捉えた。
「こういう時――見つからない時ってさ、大体自分が持ってるんだよね。探してみた?」
 俺の意外な一言に驚いたのか、彼女はハっ、とし探し出す。
 慌てて、制服のポッケにどんどん手を入れていく。
 そして――
「あった……。あった! あったよ!」
 その鍵を俺に見せる。本当に何もついてないみたいで、無くしやすそうな鍵だった。
「よかったな」
 そう言って、自分の席にかけてある鞄を引っ提げる。
 直感的に俺が帰ると思ったのか、袖口を掴み、歩みを止めさせた。
「待って!」
「ん?」
 彼女は俺を捕まえたのはいいのだが、言葉を選んでいなかったのか、それとも、咄嗟に掴んだだけなのか、分からないが、そわそわしていた。
「あ……の、なんで手伝ってくれたの?」
 やっと、捻り出た言葉がそれだった。
「困ってると思ったから」
 それだけなら、行くね。と彼女に伝えて、袖口を掴んでいた手を離れさせ、立ち去ろうとする。
「お、お礼は!」
 その言葉に俺は立ち止まった。
「お礼はどうしたらいい?」
「別にいらないよ。そういうの求めてたわけじゃないし」
 しかし、彼女は納得しないのか、俺に詰め寄る。
「せめて、お礼くらいさせてよ」
 お礼をさせるまで、帰らせてくれなさそうだな。
 困ったなと頭をかく。そして、一つだけ欲しい、いや、気になったことがあった。
「じゃ、名前教えて」
 それは、きっと彼女にとったら、くだらなくて、助けてくれたお礼に見合わないものだろう。
 だから、それを聞いて彼女は驚き、そして、微笑み、
「――燐火。佐藤燐火」
 答えてくれた。
「俺は――」
「朱雀。朱雀咲夜くんでしょ?」
「そ、そうだけど」
 なぜ、俺の名前を……。
「有名だから知ってるよ」
「お、おう」
 そうなのか。
「ねぇ」
「ん?」
「名前で――咲夜くんって呼んでいい?」
「いいけど」
「じゃ、私の事は燐火って呼んでね」
 少し考えて、
「分かった。燐火」
「うん」
そう言うと彼女は笑ってくれた。
「あ、これ」
 そう言ってあるものを差し出した。
「鍵……?」
「そう、鍵。無くさないように」
「な、なくさないから!」
 でも、と言葉を続ける。
「ありがとう」
 そう俺に笑いかけてくれる。
 でも、俺はそれを忘れていた。

 *

「――それが出会いだったな」
 昔を、懐かしむようにそう言う。
「うん、そうだね」
 佐藤さんの瞳は少し濡れていて、今にも何かが零れ落ちそうだった。
「咲夜くんを好きなになった理由はそれだよ」
「ごめんな」
 忘れていて、と付け加えてそう伝える。
「ダメ」
「……どうしても?」
「ん、じゃあ、言う事聞いてくれたら許してあげるよ」
 仕方ないな、と言わんばかりに胸を張る。
「何?」
「楓子を――あたしの友達をよろしく」
「え?」
 だって、それはあまりにも意外な願いで、もう壊れていたものだと思っていたから。
「単純に後悔してるんだよ。あの時、咲夜くんにああいうこと言わせるよう誘導したの。そして、抜け駆けしようとしたことも」
「後悔?」
「うん。咲夜くんと付き合えたら他はどうでもいいや、とも思ってたけど案外そうでもないみたい」
 佐藤さん、いや、燐火は何かを俯き、肩を震わせ、抱き、吐露する。
「俺もさ、分かったんだ。あいついないと、つまんないって。なんつーか、色が無くなった世界ってこういうことなのかな、とか、そういうことだって思ったり」
 だから、と言葉を続ける。
「俺に任せてくれ」
「うん」
 燐火は首を縦に振る。その反動のせいか、目元から雫が零れ落ちた。
 燐火はそれをすくい上げ、拭く。けれども、どんどん溢れるのか、零れては落ち、零れては落ち、床に水模様を作っていく。
「は、はやく行ってよ……。も……う、我慢できそうにないし」
「で、でも」
 目の前で友達が泣いているのに、俺はそれを見ないでどこかへ行くなんて、考えられなかった。考えたくもなかった。
 けれども、そんな考えとは別に、燐火は拒絶する。
「来ないで! 今、優しくされたらキツいんだ…………」
 歩んでいた一歩を、握っていた拳を全て、苦く辛い思いで止めた。
 俺が今、やるべきことは決まっていた。それに向かって進むべきであって、過去を見てはイケない。
「燐火、ありがとう」
 それだけを言い残し、顔を手で覆い、涙を流してる燐火を置いて行った。
 廊下に出ると、俺は迷わず携帯で電話帳を見て、ある人に電話をかけた。その人は僅かツーコールで出て、いつも通りの反応を示す。

「咲夜、こんなとこに呼んでどうした?」
 場所は変わって、天満と近くの公園のベンチに俺たちは居た。
 公園はもう暗くもあり、人は居なく、居るのなんて俺たちくらいだ。その方が好都合だ。
 天満は俺と違い、制服ではなくラフな私服姿で一度は家に帰ったことが分かる。
「俺たちって友達だよな」
 天満はそれを聞いて、ふふっ、と吹き出し腹を抑える。
「当たり前だろ」
「俺もそう思ってる。そう信じたい」
 何を言っているのか、理解できなきのか首を傾げる天満。
「咲夜?」
「単刀直入に聞くけど。…………暗木とデートした時、最後になんて言った?」
 それを聞いて、天満の顔つきが確実に変わった。険しく、真剣な顔つきに。
 そして、ふぅーと深く息をつくと、
「知らないって言った」
「知らない?」
「そう。知らないって言った」
「知らないって。なんだよ、それ意味が分かんねーよ」
 俺を目線から外し、ゆっくりと告げる。
「だから、暗木楓子という子を……、自分を……もっと昔から知っているかと聞かれたんだ」
「なん……だ、それ」
 どういうことだ。もっと昔から?
「さぁ、俺にも分からないよ」
 天満はそう言って肩を竦めた。
 けれど、俺はある疑問を抱いた。それは、俺が知らない天満が居たこと。
 あんなに優しく、思いやりのある天満が突き放すように知らない、なんて言うわけがない。
 例え、知らなくても、あいつならあの時、傷ついた暗木を追ったはずだ。
「なぁ、俺に嘘をついてないか?」
「……」
 天満は一瞬だけ辛そうな顔をし、吐露する。
「ついてない」
 でも、そんな友達の、親友の一瞬を俺は見逃せなかった。
「じゃ、なんで暗木を追いかけなかったんだよ」
「ッ――!」
 天満は何も言えなくなっていた。
 天満は優しく、正しく、思いやるがある。自分に非があっても、なくても誰かを思いやり、最善の選択を選ぶ奴だ。
 そんな奴が今回暗木を追いかけなかったのはあいつがオタクだからとかじゃなくて、純粋に罪悪感があったからだろう。追いかける資格なんてない、という言い訳を作って。
 つまり――
「本当は昔から暗木のこと知ってたんだろ?」
「……」
「知ってて、知らないて答えたんだ?」
「…………」
「なんで、そんなことした。なんで、そんなひどいことしたんだ」
 天満は依然答えようとしなかった。その考えが俺には理解できない。
 天満がなぜ、暗木に「知らない」と言ったことも。
「頼むから、答えてくれ」
 だから、懇願するくらいしか俺にはできなかった。
 これを知らなければ、暗木を呼びに行ける気がしないし。
「…………」
 首をふるふる、と横に振る。
 いつも強い意志が籠っている目にはもう弱い火しか灯っておらず、いつもの天満ではなかった。
 なぜ、そこまで頑なに本当のことを言わないのか、拒むのか、一つだけ浮かんだものがある。
「まさか俺のためか……?」
 自意識過剰とは思ったけど、なぜだかそう思えた。いや、これしかないとも思った。
 そして、天満は遂には首を振らなかった。否定をせず、肯定せず。
「なんで、俺なんかのために……!」
「友達が友達のことを思うのは当然だと思うからだ」
「お前はあいつの……」
 好意を、って言いたかった、言いたくて仕方がなかった。
 けれど、それは俺から伝えてはダメな言葉。
 だから、拳を握ることくらいしかできなかった。
「俺の気持なんかより、あいつの気持ちを……」
「……ごめん」
 もうここで何を言っても意味なんかない。
 すべてはもう終わってしまったことだ。だから、今は次に繋げられることをすることしかできない。
「もし、もしだけど、次があるのなら、その時はちゃんと答えてやってくれ。自分の気持ちで」
「分かった」
 天満はそう言って俯き、肯定した。
 
 それから、天満と別れて、自宅に帰った俺は自分の部屋のベッドに寝転がっていた。
 枕を顔に押し付けて、考える。暗木をどうやって学校に連れてくるか。
 強引に連れてくるか、説得するか、の二択しか思いつかない。
「どうすればいいんだ……」
 自然と、意図もせず出た言葉。
 それは紛れもなく俺の本心だった。誰かを助けたいのに、それを行うだけの力がなく、悩む。
 ごろん、と反転し、仰向けになる。
 すると、机が目に入った。机の上に置いてあるラノベが。それは、俺と暗木と初めて出かけた時に買ったもの。
 しかし、今は読書している暇なんてないし、考えなければイケない時間のため読む気にはなれず。
 けれども、その後も一向にいい案は見つからずに、とうとう俺は瞼が重くなっていく。
――あぁ、あいつは何してるんだろうか。
 そんな思いと共に幻想の世界へと誘われ、俺はそれに対抗することもできずに……。

 *

 「気ぃつけて帰れよー」
 担任の、のっぺりとした声で一斉に帰りだすクラスメイト。
 今日も暗木は来ずに、放課後まで来てしまった。天満も、どこかよそよそしくなり、話しかけられそうにもない。
 思わず、嘆息をつき、鞄を手にとる。何もかも、ここでダメになってしまうのだろうか。
 そんな考えを無くすように、頬を手でバチンと叩く。
「……よし」
 一人ゴチて気合を再度入れなおす。
「何がよしなんですか?」
「ひゃん!」
 クラスを出た瞬間、扉に隠れるよう居た燐火に尋ねられた。いきなりで驚いて、俺はカッコ悪い声を出してしまい、それにもまた、恥ずかしが拍車にかかる。
「ひゃん!……って」
「う、うっさい!」
 呆れたように燐火がそう言い、俺は頬を紅くした。
「じ、じゃあな」
 燐火にそう言い、通り過ぎる。すると、
「ぐへぇ!」
 襟元を掴まれ、首に引っかかる。息が苦しく、変な声がまた出てしまった。
 ごほっ、ごほっ、と咳き込み、落ち着くと、
「何すんだよ!」
 文句の一つを言った。
「楓子のとこに行くんでしょ?」
「ん? あぁ、そうだけど?」
 燐火は、もじもじした様子で言葉を紡いでいく。
「あ、あたしも連れて……行って……欲しい」
「え?」
「元々はといえば、あたしが咲夜くんにああいうこと言わせちゃったのが悪いし、それに、……楓子に謝りたいから」
「いいけど、俺に任せるって言わなかったけ?」
「うん。任せるよ。……多分、ていうか絶対、私じゃ無理だから。今回だけでいいから……ね?」
 見上げて、そして、涙目で俺に言う。これが俗に言われる上目遣いだろう。
「その方が俺もなんとかなる気がするし、一緒に行こうか」
 俺たちは一緒に暗木の家を目指すために学校を出た。
 暗木の家は、学校からそんなに離れているわけでもなく、かといって、近いかと言われればそうでもない、と首を横に振るくらいの距離だ。
 まずは電車で乗り継ぐ。
 電車の中では、さっきまで話してたのが嘘みたいに無言になった。ただただ電車の聞き心地いい、眠りを誘うような音に耳を傾けるだけ。
 それもそのはずだ。
 今から、暗木に会うていうだけで、俺の心臓は跳ね上がり、今にも爆発しそうだ。
「……それは普通に会うからじゃないからなんだろうな」
 誰にも聞こえない声で吐露した。
 いつかの駅で眼鏡を外したあいつを可愛く思い、心臓が爆発しそうになったのが懐かしい。
 また、ああいう日が俺には来てくれるのだろうか。そんな不安の表れか、手が徐々に震える。
「大丈夫」
 そう言って燐火は俺の手をそっと掴む。ただ黙って燐火の手の感触と電車の音に身を任せた。
 そして、無事に駅まで着くと、そこからは徒歩になる。
 街並みを見ながら歩くのだが、不思議な気持ちだ。通学するたびに暗木が通って言うと考えると。
「家はどこらへんなの?」
 俺にずっとついてくるように歩いて来た燐火が尋ねる。
「ここらへんのはずなんだけど……」
 住所が書いてある紙を見ながら周りをきょろきょろ見渡す。
 うーん、と良く分からずに唸っていると、
「もしかして」
 そう言ったのは燐火で、彼女が指さして見ていたのは暗木という表札の家だった。
 けれど、
「いやいやいやいや~」
 思わず、手を振って否定してしまった。だって、あまりにも
「大きすぎるよね」
 そう、家が大きすぎる。所謂豪邸。金持ちの領域だ。
 暗木とは正反対で交わっても、交わらない。そんなものだと思っている。
「でも、ここらへんで暗木なんて、珍しい苗字ここだけだし」
 ごもっともな意見をもらい、やっぱりここが暗木の家だと思い、インターホンに手を伸ばす。
 ドキドキ、と胸が早鐘を打つ。ごくり、と生唾を飲み込むが、口内は砂漠のように枯れていて、ええい! 押すしかない!
 手に力をグッと込め、一思いに押した。間延びのある機械音が響き渡り、次に備え付けのインターホンから人間の声が聞こえる。
「……どちらさまですか?」
 少し大人っぽい声が耳に触る。
「えっと、俺達、いや、僕たちは楓子さんの友達で、今日は」
「……今開けます」
 俺たちの関係性を知ったからか、すぐに玄関を開けてくれた。
 玄関を開けられ、とりあえず中に、ということで通された俺たちはまたもや、驚く。
「楓子の母の智代です」
 出て来てくれたのは暗木のお母さんだった。
 歳は多分、俺の親と変わらないだろうけど、それでも綺麗だ。とてもじゃないけど、子持ちとは思えない。
 ついてきてください、そう言われ、俺と燐火はついていく。
 ついていくと分かるのだが、外観もそうだが、中も、ものすごく広く、部屋の雰囲気は今時のルームデザインらしく実用性もあり、快適そうだ。
 居間に通された俺たちは、ソファにゆっくりと腰を落ち着かせる。このソファも高い物なのか、沈むように気持ちがいい。
「それで、今日はどういった件で?」
 紅茶を俺たちに出しながら、暗木のお母さん――智代さんは尋ねる。
「楓子さんがなんで、学校を休んでいるのかって」
「……」
 それを聞いて、智代さんは紅茶を一口飲み、ゆっくりとテーブルにカップを下す。
「友達とうまくいかなくなったらしいです」
「友達……とですか」
――やっぱり、友達なんて……いらなかった。
 あの悲痛で、何かを諦めたような、何かを壊すような叫びが蘇る。
 その時、言った言葉がリアルで、どれだけ暗木に残酷だったんだと初めてここで自覚した。
「最近は特に楽しそうだったから、特にキツかったのかしら」
「最近……ですか」
 燐火が智代さんに確認するように、紅茶の水面に視線を落として呟く。
「そうなのよ。あの子ずっと友達の事喋ってたのよ。確か……朱雀さんと燐火ちゃんって言ったかしら」
 その名前にドキっ、とした。いや、分かってはいたけど、だって俺や燐火もきっと同じだから。友達と思っているから。
「……今、楓子さんは?」
「ずっと部屋に居るわ。何をしているのかしら」
「話を……。話をさせてくれませんか?」
 それを聞いて、智代さんは少し驚きつつも悲しそうな表情に、
「きっと無駄だと思うわ」
「それでも、話がしたいんです」
 やがて、分かってくれたのか、それとも、諦めさせるためか、席を立って、
「ついてきて下さい」
 どうやら、暗木の部屋は二階にあるようで、俺たちは智代さんについて行って、ある部屋の前まで来ていた。その部屋の立て掛けには「楓子」とだけ書かれている。暗木の部屋だろう。
 女子の部屋の前に居るから緊張してるんじゃなくて、喧嘩した相手と話す緊張が俺の中にあった。
 コンコン、と静かにノックを二回する。続いて口を開く。
「俺だよ、暗木。分かるか?」
 何も返ってこなかった。それを見た智代さんはガッカリしたのか、肩を竦めて下に降りて行ってしまった。
「なぁ。暗木」
 どれだけ、語っても、
「おいってば」
 喋っても、
「何か言ってくれよ。せめて、生きていることくらい教えてくれよ」
 返事は来なかった。まるで、誰かに伝えたい気持ちを海に投げ捨てている気分だ。
「楓子、ちょっといい?」
 燐火が俺を押し退け、前に出る。
「そのままで……黙っているままでいいから聞いて」
 それには俺ですら、口を挟むことができなくて。
「あたしが全部悪いんだ。あたしの好きって気持ちが楓子を傷つけた……。それは多分間違っていない。でも、あたしは後悔した」
 ただ、ゆっくりと耳を傾けて、彼女の心を覗く。
「何かを傷つけて、何かを得ようとしたのが浅はかだった。いや、正確には何かを傷つけても、その何かを得ることができないことに気が付いたからかもしれない。だから――」
 祈るように、胸の前で指を重ね、息を吐くように言う。
「あたしに謝らせてくれるチャンスを頂戴」
 それでも、暗木の心を開かせる、いや、壊すには足りなくて、黙っていた。
「……暗木。また来るから」
 そう言って、俺たちは暗木の部屋の前から消える。
 降りると、そこには待っていたかのように佇む智代さんの姿があった。
「どうでしたか……?」
「……ダメでした」
「そうですか……」
 あまり期待していなくても、それでももしかしたら、という願いがあったせいか智代さんは見て分かるように落ち込んだ。
 けれど、そんな姿を見られまいと、最後には笑顔で見送られた。
「どうするの?」
 暗木の家の帰り道の電車の中、佐藤さんが尋ねる。
 その声は心配そうな、そして、先行きが不安そうに感じた。
「どうするも何も、もう一回行ってみるだけ」
 当たり前のように言う。実際そうすることでしか、俺にできることはない。
 だから、せめて、それだけはやろう。俺にできることを。
 一人意気込むと、自然と手に力が入る。
「お願いね」
「任せとけ」
 そう言い終わると、丁度電車は駅に止まって音を出しながら扉が開く。
 佐藤さんは電光掲示板を見ると、焦った様子で荷物を手に持つ。
「あ、私、ここ!」
「あぁ、また明日」
 ひらひら、と手を振り、佐藤さんはホームに降りる。
 その姿を少し遠くから見て、しばらくしてから電車は再び走り出す。アナウンスで次の駅名を呼びあげ、俺はまだまだ自分の最寄りは遠いと確認すると、今までの疲れを癒すように首を傾け、目を閉じる。
 起きて、目を開けたら、いっそのことまた三人で居たデパートの時に戻ればいい、いや、天満攻略対策本部でもいいかな。
 そんな幻想で、くだらなくて、けれど、自分自身には尊い夢を見ながら、少しだけ休んだ。

 *

「どうも」
「……えぇ、いらっしゃい」
 一瞬の間があり、智代さんは歓迎してくれたかは分からないけど、それでも家に入れてくれた。
 あれから、また一週間が過ぎ、暗木は依然として学校には来ていない。
 智代さんも、俺の対応に慣れたのか、それとも、もう燐火は来ないと知っているのか、分からないが逐一「女の子は?」と聞かなくなった。
 燐火とも、あれから特に話していない。もしかしたら、話しにくいのかもしれない。
「なぁ」
 暗木の部屋の前でそう呟く。周囲に智代さんの姿はない。
「聞いてくれ」
 言葉はもう考えてきた。
「いつか話したよな。一人の優しさか、みんなからの優しさって、どっちがいいのか」
 暗木の顔を想像しながら、扉一枚隔てた向こうに届くように。
「あれさ。俺、みんなからの優しさがいいって言ったのは本音だ。でも、それとは別に一個人からも欲しくなった。燐火に、天満に、そんで暗木」
 反応は無い。
「きっと、今ならお前の気持ち分かる……気がする。いや、元から知ってたんだ。お前の気持ち」
 一呼吸置く。深く息を吐き、吸い込み、

――俺、イジメられてたんだ。

「って、今更か? 俺が中学の時にオタクがバレて、言いふらされて一瞬にしてみんなが敵になった。今でも忘れない、あの侮蔑した目。
 だから、誰よりも好かれたくて、誰よりも嫌われたくなくて、オタクを捨てた。
 それが間違いだったとは思わない。それで、少なくとも今日まではイジメられていないからな」

――だから

「――分かる。お前の気持ちが。全部が全部信用できなくて、笑っているような感覚。分かる」

――でも

「それじゃ、変わらないことも俺は塞ぎ込みの先輩として知っている。変えたいなら、その狭い世界から出なくちゃいけない」
 扉に、そっ、と手を置く。
「それで、傷ついたら?」
 あぁ、いつぶりに暗木の声を聞くのだろう。懐かしさに目を細め、
「それでもだ。例え、傷ついても、立たなきゃイケない」
「そんなのおかしいです」
「あぁ、おかしい。理不尽だよ。でも、そこに居たって変わらない」
「でも、傷つかない」
「人は傷をつけて、成長するんだ。ほら、想像してみろよ。十年後、笑いながらあの時の事を語りだすことをさ」
「想像できません」
 それに俺も笑いながら、
「ははっ、俺もだ。まったく想像できない」
「なっ――?!」
 壁一枚隔てた向こうで呆気な声が聞こえる。
「でも、それって素敵なことだと思わないか? 俺たちはどこまでも成長できる。無限大だよ」
「……なんですか、それ」
 少し笑ったような高い声。
「そのまんまだよ」
「……」
「……」
 少しの間だけ訪れる静寂を破ったのは俺。
「十年後は想像できなくてもさ」
「ん……」
「一週間後とかにさ、またデパート行くのくらい想像できるだろ?」
「どうですかね……」
 頼りない声だった。
「それにこのまま終わるのなんて嫌だろ?」
「はは、確かに」
「だから、待ってるよ」
「うん」
「これ以上は、俺はもう来ない。あとは……自分で、自分の手でこの扉を開け」
 その言葉に返事は無く。あるのは扉の冷たさだけだった。
 やることは、やった。お膳立てはした。充分やった。どんな言葉を並べても、決して満足しなかった。
 他に言葉あったんじゃないのか。もっと言い方あったんじゃないか。
 そんな無限ループが頭を駆け巡る。
「あなたは」
 一階に降りたところで、智代さんとすれ違う。
「あなたは楓子とどんな関係なんですか? 恋人?」
 胸に、何かが刺さる。痛い。それに耐えて、俺は答える。
「友達ですよ」
 智代さんの顔も見ることできずに、俺は帰路につく。

 それから、数日がさらに経過した。
 あれから、俺は一日も暗木の家に行っていない。
 もちろん、心配だし来てほしい。けれど、あそこからはあいつ個人の問題だ。
「先輩、私! 先輩のことが――」
「待って!」
 朝のホームルーム前、早朝、俺は体育館裏で一年生に呼ばれていた。
 彼女は、青春ど真ん中のお決まりのセリフを言おうとしていたが、俺がそれを遮った。
「俺、俺さ」
 一つ、一つの単語に感情をぶつける。
「好きな人ができた」
 そこで、初めて出た。
「そ、そうなんですか、や、やだなぁ……。私ったら、知らなくて」
 彼女から血の気が引いていくのが分かる。
「ごめん、俺こそ。そして、ありがとう」
「……はい!」
 そう言って走り去る彼女。
 その背中を見送ると、俺も暗木のいない、日常的に何か物足りない教室へと向かう。
 歩き出したと同時に背中に衝撃が伝わる。
「いたっ」
「……」
 ぶつかってきたであろう女の子は何も言わずに、部活棟の方へと向かっていった。
 なんだよ、と一人ごちると後ろに気配を感じ、振り向く。
「天満」
 少し力の抜けた天満が居た。
「あぁ。よぉ」
「どうかしたか?」
「いや、えっと……」
 そこで、都合悪くチャイムがなり、急いで俺たちは教室へと向かう。
 教室は今までの日常より、遥かに活気づいていた。その理由は黒板に書かれていた。
「なんだこれ」
 呆気にとられ、そう呟くことしかできなかった。
 隣に居た天満も強く口を噛み締めることしか、できないのか口元が血で滲んでいる。

――暗木楓子は春日部天満に告白し、見事玉砕!

 そう書かれていた。何度も目を疑ったが、結果は何も変わることなかった。
 天満を見ると、目を逸らしきた辺り、本当のことだろう。
 暗木が学校に来た喜びよりも、何よりも、

「あの暗木がね~」
「マジうけるよね」
「だっしょ? 身の程知れって! あはは」
「お! 天満ご到着~~!」

 幾つもの心無い言葉が胸を刺す。それは俺の記憶の出来事と大差なく再現されていた。

――朱雀きっも
――こっち来るな
――朱雀くんと居ると僕まで言われるから……
――朱雀、金持ってきたか?

 あぁ。結局、あの時と何も変わらない。
 所詮、オタクだし、何言われても仕方――

「ない、わけねぇだろ……」
「咲夜?」
 天満が俺の独り言を聞いたのか、心配そうに覗き込む。
 暗木のためだ。下手なこと言うくらいなら黙った方がいいという思い。
 俺も、言っちゃダメだなんて分かってた。だって、それは俺が今まで暗木本人に否定してきたことだから。
 暗木と話せばオタクに見られ、庇えばオタクに見られ、だから、今まで避けてきた。
 けど、そんなの言うまでもなく間違ってる。
 だから、今それを正す。
「うるせぇ――――――――――――――――――――――――――――――――っ!」
 クラスの雑音はおろか、学年に響く声で怒号を飛ばす。
 案の定、全員呆気にとられていた。
「暗木が天満に告白して、何が悪いんだ!」
「や、だって、ウケね?」
 男子がそう反論するが、そんな精神論は無視だ。
「何もおかしくねぇ――――――! むしろ、人として、誰かを好きになるのは普通だろ! それをお前らは何も分かっちゃいねぇ! あぁ⁉ オタクは恋をしちゃ、ダメか? そうなのか?」
 言う言葉が見つからないのか、だんまりとしていた。やがて、ポツリポツリと雑言が飛び交う。
「咲夜、お前暗木の味方かよ」
「らしくねーぞ」
「朱雀さん、どうかしたの?」
 何も分かっていない。こんなに言ってるのに、誰一人分かってはくれなかった。
「咲夜、お前……」
 天満に肩を掴まれるが、それを振り払う。
「俺は昔からオタクだ! アニメもラノベもゲームも好きで好きで好きだった! ハーレムもラブコメもシリアスも異世界転生も大好きだった! でも、全部お前らみたいな、ちゃらちゃら可笑しいくっっっっっっっっそたれ一般ピーポーのせいで嫌いになりかけた」
 あぁ、溢れる二次元の想いも、何もかも止まらない。
 どんな顔して言ってるのかな。
「でも、結局は好きだよ! あぁ! 愛してるね! 三次元はゴミ! 二次元は尊い! その良さも分からない、お前らには暗木の気持ちも、苦しさも、良さも、分かんないだろうな!」
 はぁはぁ、と肩で息をする。冷静に考えると、こんなところでこいつらに時間を使っているわけにはいかない。
 ホームルームを無視し、教室から出ようとすると、
「咲夜……その」
「いいんだ。……ちゃんと本心から言えたんだろ?」
 天満は不安そうな顔から少し活気を取り戻したようだ。
「……あぁ!」
 さてと、最後の反省会をしに、俺は改めて教室を出る。

*

「よぉ」
 なるべくいつも通りの挨拶を交わす。思い出すかのように。
「どうも」
 照れを隠すかのように髪をイジる。短くなった髪を。
「髪切ったのか?」
「はい」
「……似合ってるな」
「嫌味ですか」
「本当」
 実際、かなり似合っていたし可愛いと思う。
 腰ぐらいまで長かった髪は肩くらいまでに切られて、眼鏡を外していた。
「外見だけ取り繕ってもダメなものはダメなんですよ」
「けど、それは努力として残る」
「物は言いようですね」
「そうかもな」
 それだけ言うと、少しだけお互い何も言わなくなった。
 何かを探り合わないようにお互い、遠慮している。
「……聞いていいか」
「なんですか?」
「天満に、その、言ったのか……?」
「言いましたよ。好きだったって」
「好きだった?」
「過去形……ですよ」
 それはどういう意味だ、と尋ねようとすると、それを答えるかのように自ら解を出す。
「私、小学生の時、天満さんと同級生だったんですよ。それで、彼だけは私を、受け入れてくれて――」
 そこから先、暗木は天満を好きになった本当の理由を話し続けた。
「私が私のままでいい、って言ってくれたのは天満さんが初めてだったので、意識して、それで」
「それで?」
「好きになってました」
「じゃ、なぜ過去形なんだ?」
「その想いがいつの間にか愛情とか、そういうのではなく、信頼とか尊敬に変わってただけですよ」
 暗木は、俯きそう言う。
「それじゃ、引き籠ってたのは……」
「天満さんの答えにショックを受けたのもありますけど、朱雀さんと会うのが気まずかったのもあります。そして、嘘をついたのは、朱雀さんに言ったら天満さんに変な誤解を抱くと思って」
「そっか」
 だから、と暗木は言い続ける。
「嘘をついて、ごめんなさい」
 すっ、と頭を下げる。短い髪が揺れた。
「俺こそ、お前に誤解される行動をとってしまった。ごめん」
 俺も同じく、頭を下げる。顔をあげると、暗木と目が合い、笑い合う。
「もう一度やり直せますかね?」
 暗木は静かに、そっ、と手を差し出す。
「喧嘩するほど、仲がいいって言うしな」
 俺はそれを軽く、丁寧に包み込むように握る。

*

「はやく行こうよ~!」
 俺、暗木、天満より一足、二足へと先行くのは燐火だ。
 今、俺たちはデパートのゲーセンに来ている。
 週末のこともあってか、人は思ったより多かったが、足取りは不思議と軽かった。
「今、行くよー。燐火」
 あれから燐火と暗木はお互いに謝り、友情をさらに強固な絆のものにした。
「女子はパワフルだな」
 そう笑う天満も今日は、いつも以上に楽しく思えた。
「ん、そうだな」
 口では淡泊に聞こえるだろうけど、俺も楽しいと思っている。
 思い描いていた光景が、求めていたものがまた見れたのだから。
 そして、ゲーセンの一角に設置されている四角の入れ物に入る。四人ともなると、さすがに狭く感じた。
 コインを入れ、音声案内が流れる。二回目とも、なると慣れたもので、楽だ。

「いっせーのでっ!」

 四人の声が狭い中で、こだまする。
 写真撮影が終わると、外の口から写真を取り出す。それを、それぞれみんなに配る。
「あはは、なにこれ~」
「ホントおかしいですね」
「咲夜、これ変顔かよ」
 それぞれの感想を口にし、俺は噛み締めた。この心地よさを。
「本当にベストフレンズだよ」
 そう独りごちて、シールの文面に目を落とす。
 そこには、ベストフレンド、そう書かれていた。
 でも、俺は――。
「ん、どうかしましたか?」

――好きだ。

「いや、何でもない」
 また何度でも君の相談を受けて、いつか、俺を好きになってもらう。
 そう切にシールに想いを込めた。